中山道の宿場町「追分宿」に史跡と文学者たちの足跡をたずねる

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中山道の宿場町「追分宿」に史跡と文学者たちの足跡をたずねる

中山道の宿場町「追分宿」に史跡と文学者たちの足跡をたずねる

更新日:2015/09/28 14:07

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー

浅間根腰の三宿と呼ばれた追分宿、沓掛宿、軽井沢宿の中で最も栄えたのが追分宿。中山道と北国街道の分岐点にあり、江戸時代は交通の要衡として賑やかな宿場を形成していました。明治に入って鉄道の開通により徐々に賑わいを失っていった追分宿。しかし逆に静けさを取り戻したことにより、多くの文学者が居を移し、生活を送ったことで文化の香り漂うエリアとして確立していきました。歴史と文学の香り漂う通りを歩いてみましょう。

往時を偲ばせる信濃追分の分去れに立ってみる

往時を偲ばせる信濃追分の分去れに立ってみる

写真:和山 光一

江戸時代、中山道と北国街道の分岐点が現在の国道18号線上にあり、「追分の分去れ」と呼ばれる史跡があります。そこには今でも風雨にさらされた石仏や供養塔、常夜灯が残り、往時の旅の苦労を物語っています。その昔長旅の途中で親しくなった旅人同士が、別の行く先を前に、別れを惜しむとともに袂を分けて旅を続けたと言われるのが分去れの由来だそうです。「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」の句碑にあるように、行先は姨捨の田毎の月と奈良の吉野の桜にここから分かれていくのです。その他にも「世の中は ありのままにぞ 霰(あられ)ふる かしましとだに 心とめぬれば」と彫られた「森羅亭万象の歌碑」があります。森羅亭万象は江戸時代中期の博物学者で有名な平賀源内の門人で、狂歌師・浦木浦燦のことと言われています。

庚申塔と仏像の向こうに何故かホームズが

庚申塔と仏像の向こうに何故かホームズが

写真:和山 光一

不思議なことに分去れから数メートル北国街道方向に進んだところには、庚申塚や馬頭観音が奉られた緑地の中に「シャーロックホ−ムズ像」が立っています。銅像脇の説明書によると、「翻訳家の延原謙が追分でシャーロックホ−ムズの物語を全訳したのにちなんでこの地を選び、ホームズ登場100周年を記念して有志一同が建てた」との事です。延原謙が翻訳を手掛けた場所こそ追分油屋旅館の離れでした。

銅像その物は立派で、身長は実寸大の183cm、台座もあり、なかなか堂々たるものです。ディアストーカー(鹿撃ち帽)にインパネスコ―ト、ウィングカラーのシャツにネクタイ、革靴といういわゆる古風なホームズ・スタイルで、手にはパイプを持っています。顔はシドニー・エドワード・バジェットの挿絵を参考にしていると思われています。シャーロックホームズファンには聖地になっている知る人ぞ知る名所です。

追分を愛した作家、堀辰雄の生涯と文学の背景を知る

追分を愛した作家、堀辰雄の生涯と文学の背景を知る

写真:和山 光一

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分去れから離れて東へ、国道から一本北寄りの道に入ると、そこが「追分宿」のあった追分通りです。街道沿いには追分をこよなく愛し、「美しい村」「菜穂子」をはじめ軽井沢を舞台にした小説を多く残した、昭和初期を代表する作家である堀辰雄に関する資料を展示・保管する文学館「堀辰雄文学記念館」があります。カラマツとモミジの並木の奥には、40歳以降の晩年を過ごした木造平屋の旧居と愛蔵書が納められた小さな書庫が大切に保管されています。その入口の門が追分宿本陣裏門で、堂々とした立派な門なのです。

堀辰雄の文学に触れたあとは、記念館周辺の散策がおすすめです。向かいにある旧脇本陣の旅館「油屋」は、堀辰雄や室生犀星・立原道造らが常宿にし、様々な作家や詩人が訪れ、文学者の交流のあった地としても知られています。堀辰雄の小説「奈穂子」に登場する牡丹屋という旅館はこの油屋がモデルとのこと。また、本館2F「つげの間」で堀辰雄は「風立ちぬ」を執筆しました。現在は旅館を改装し、「信濃追分文化磁場 油や」として再生されています。氏のゆかりのエリアで名作の世界の余韻に浸りながらちょっと一息つくのもいいです。

堀辰雄が愛した半伽思惟像を探してみてください

堀辰雄が愛した半伽思惟像を探してみてください

写真:和山 光一

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追分宿で唯一のお寺、「泉洞寺」は慶長3年(1598)上州常林寺第5世・心庵宗祥禅師によって開創された曹洞宗のお寺です。この寺の墓地内の小径沿いに建立されている半伽思惟像は、作家堀辰雄の「樹下」(大和路・信濃路)の一節に描かれたことによって有名になりました。堀辰雄が散歩のとき泉洞寺本堂へお参りし、本堂裏の墓地を通った時、この仏様と出会い、心を寄せて手を合わせた姿があったといいます。少し分かりづらい所にあり、本堂にはいらず左側砂利の駐車場から脇をお墓に向かって回り込むと、右手にひっそりと佇んでいます。首をかしげ左手を頬にあてている姿が、歯が痛いと頬っぺたを押さえているように見えることから歯痛地蔵尊と呼ばれ、村人には歯痛の神様として信仰されているようです。

数多くの文人が堀辰雄を慕って追分を訪れましたが、特に詩人である立原道造は、堀と同様に泉洞寺にお参りし、この石仏に手を合わせていったといいます。彼の詩集「田舎歌」の「村ぐらし」の一節に泉洞寺墓地の一角にある「泡雲幻夢童女」という戒名が詠まれていることからもうかがえます。

ライ麦パンのお店「ベーカリー&カフェ 一歩」から街道を眺める

ライ麦パンのお店「ベーカリー&カフェ 一歩」から街道を眺める

写真:和山 光一

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「一歩」のまるで江戸時代の茶屋のような建物は、追分だんごが名物の「かしわや」があった場所を改装したもの。かしわやで使われていた木材を再利用したテーブルや、ひとつひとつ風合いが異なるイスも全て手作りで生まれ変わりました。旧中山道の風情ある町並み、周りの小川や緑、遠くに見える浅間山との調和を考え、建てられていて、静かな場所にあるので、暖かい時期はカフェのテラス席でのんびり過ごすのがおすすめです。

店頭には天然酵母を使ったこだわりのライ麦パンがずらりと並んでいます。ライ麦の配合割合を変えたり、いちじくやくるみを焼き込んだものもあり、バリエーション豊富で試食もできるのでお好みの味が探せます。ランチはタルテーヌ(フランス式オープンサンドイッチ)にスープそしてライ麦パンがついて800円。奥のイートインコーナーで是非どうぞ。モーニングもありパンが食べ放題です。

追分宿郷土館で江戸時代の追分宿にタイムイスリップしてみる

追分宿の構造や歴史を縄文時代からたどり紹介する資料館が、「追分宿郷土館」です。かつての街道を想起させる情緒ある旅籠を模した出桁造りの建物で、本陣・脇本陣・問屋など宿場の構成を解説し、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような宿場の雰囲気を十分に味わうことができます。展示室の入口には茶屋の一部を復元し、当時の品々を配していて、ここでは追分小唄を聴くことができるのです。

江戸時代、碓氷峠を中心に駄賃付けの馬子達が、唄いつづけてきた仕事唄「馬子唄」を、追分宿の飯盛女たちの三味線等により洗練され追分節として成立したというのが追分小唄です。なかでも三下り調の追分節は、 その主流となって諸国に広く伝わり、 特に関東以北では 新潟県の越後追分、 秋田県の本荘追分になり、 更に北海道に渡って、江差追分などに発展していったとされています。このことから追分は「追分節発祥の地」とされていて、追分節発祥の地の石碑が、資料館前の浅間神社の境内にあります。

追分宿は、中山道69次のうち江戸から数えて20番目の宿場町。4.7Kmの短い通りに残る、文人たちも愛した昔ながらの軽井沢らしさと豊かな自然が一番の魅力です。落ち着いた街並みを是非そぞろ歩きをしてみて下さい。


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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/05 訪問

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