歴女もうなる!?真田幸村ゆかりの宿坊・高野山「蓮華定院」

歴女もうなる!?真田幸村ゆかりの宿坊・高野山「蓮華定院」

更新日:2015/10/27 12:02

高野山宿坊の蓮華定院は、関ヶ原の戦いに敗れた真田昌幸・幸村父子が逗留した場所。院内の随所に真田の香りがプンプンする宿坊は高野山ではココだけなのです!
真田家の家紋である六文銭は院内の所々に施され、それを見つける楽しさは歴女の中でも密かなブームとなっています。父子が過ごした同じ場所に座りながら当時に思いを馳せるのも良し、昔ながらの宿坊を堪能するのも良し、今回は名刹・蓮華定院の楽しみ方をご紹介!

真田家家紋の使用を許された由緒ある宿坊

真田家家紋の使用を許された由緒ある宿坊
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上杉謙信は清浄心院、武田信玄が成慶院など戦国武将たちは領国の菩提寺と縁のある高野山の寺院を「檀縁(だんえん)」として宿坊契約を交わしたという記録が現在も残っている中で、信州真田家は室町時代より「蓮華定院(れんげじょういん)」を宿坊と定め、高野山に詣でる滞在所として利用していましたが、西暦1600年に起きた関ヶ原の合戦で西軍に属していた真田家は、徳川家康率いる東軍に敗北。昌幸・幸村父子が身を寄せた場所がここ蓮華定院だったのです。

写真は山門。
同家の家紋である六文銭の提灯が下がり、真田家との縁の深さを見る事ができます。その山門をくぐると正面には玄関、左側には本堂が見えてきます。本堂前の枯山水の庭園はご住職自らが作庭。庭の中心にあるのは本堂のご本尊である阿弥陀如来の梵字「クリーク」。梵字は池中に咲く白蓮華とその上で禅定(蓮華定)に入る阿弥陀仏を象徴し表現しています。周りの幾何学模様との絶妙なバランスは必見です!

真田父子の愛でた庭園は宿坊一の名園だった

真田父子の愛でた庭園は宿坊一の名園だった
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玄関を通って左手の廊下を進むと本堂に行くことができますが、本堂の手前に広がるのが写真の庭園です。この庭園は蓮華定院自慢のメイン庭園で日本情緒あふれるたたずまいが外国人宿泊者に超人気!しかもこの庭の周囲にはお部屋に繋がる廊下が連なっているので、あらゆる角度から庭を楽しむことができるのです。
しかしお庭はここだけではありません。高野槇のみを配置した庭や枯山水など、庭見学だけでもまだまだ見どころはあり、真田幸村が見た世界と同じ風景を楽しんでみましょう!

ところで真田家六文銭の家紋についてですが、庭に通じる途中の廊下で見る事ができるだけでなく、宿坊で使う調度品や什器(じゅうき)にもこの家紋が入っています。 そして最も真田父子を感じることができるお部屋がこのメイン庭園に面している写真右側のお部屋になります。

必見!真田父子が滞在した「上段の間」

必見!真田父子が滞在した「上段の間」
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真田昌幸・幸村父子が滞在した部屋が写真の『上段の間』。
蓮華定院ではこの部屋と共に彼らの遺品を保存、一般公開をしていますので、宿泊の際は必見です。
ただし残念なことに江戸期に蓮華定院は焼失し、現在残っている部屋はその後に再建されたもので、実際に父子が滞在した部屋ではありませんが、上段の間は焼失前と同じ位置に復元、基本的な造りは当時のままを再現しているのだとか。

昌幸・幸村父子がこの広間にいたことが伝わっていること、同じ部屋が再建されて現在に至っていること自体が希少なものと言えるでしょう。お寺の方から「あなたが今、座っている位置こそ幸村公がお座りだった」なんて聞いてしまえば、心踊らずにはいられませんね!

ちなみに上段の間は二間ほどの広さで、お殿様(昌幸)が使用した場所であり、幸村を始めとするお供の武士たちは昌幸よりも下座(大広間)で逗留していたことを付しておきます。

宿坊の中心である本堂は荘厳にして壮麗

宿坊の中心である本堂は荘厳にして壮麗
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現在の本堂は萬延年間(1860年)に真田家により再建されたものですが、ご本尊は阿弥陀如来です。ほかの宿坊に比べてやや小ぶりの本堂ですが、中に入ると本堂内の空気が驚くほど澄んでいて、なにかに温かく包まれるような感覚を覚えます。ご本尊を見上げると優しく自分に微笑みかけてくれているような感じになり、心が穏やかに落ち着くのがわかります。

さて本堂では朝夕の二度、お勤めがあります。
夕方のお勤めでは「数息観(すそくかん)」と呼ばれる瞑想を実施。
ひたすらに静かな時間が流れ、薄暗い本堂で貴重な時間を過ごすことができます。お線香の落ちる音が聞けるかも知れませんので自分に集中して試してみましょう!
早朝のお勤めは朝6時から。約1時間の勤行は、宿坊に泊まった者しか味わえない素晴らしい体験となることでしょう。
なお蓮華定院の法話は朝夕のお勤め時だけでなく、夕食事中にも聞けることが特色といえます。

必見!宿坊裏にたたずむ真田信之・信政公の五輪塔

必見!宿坊裏にたたずむ真田信之・信政公の五輪塔
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奥の院には信州真田家の墓所がありますが、その墓所の何倍も大きい規模の墓所が宿坊の裏庭にあります。この墓所には蓮華定院の山門を経由しなければ行けないので、宿泊者以外の方が参拝する場合は受付で許可をもらう必要があります。

真田信之は関ヶ原合戦で西軍に組した父・昌幸、弟・幸村とは一線を画し、徳川家康の養女を妻とする信之は家康の東軍を支持。合戦後、徳川幕府においても沈着冷静且つ戦の際は常に先陣を切って進むという豪快さを併せ持つ英傑として知られた存在でした。

五輪塔はその信之と信之から家督を継いだ信政のもので、鬱蒼と茂る杉林の前に静かにたたずんでいます。

まとめ

いかがでしたか?

蓮華定院では宿泊に関して、女性ひとりからの宿泊や朝早い出発、夜遅い到着のお客様も大歓迎!臨機応変に対応してくれます。
ただし館内は安全面の観点から宿泊者(または檀家)以外の見学は受け付けておりませんので、注意が必要です。

お時間に余裕のある方は、院内で写経もできますのできれいな庭園を眺めながら贅沢な時間を過ごされてはいかがでしょうか?

真田の香りを感じながら、昔ながらの宿坊スタイルを体験したい方には特におススメの宿坊といえます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/08/17−2015/08/18 訪問

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