被爆者の心を慰めた「広島大仏」は今、奈良に!安堵町・極楽寺「世紀の出開帳プロジェクト」

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被爆者の心を慰めた「広島大仏」は今、奈良に!安堵町・極楽寺「世紀の出開帳プロジェクト」

被爆者の心を慰めた「広島大仏」は今、奈良に!安堵町・極楽寺「世紀の出開帳プロジェクト」

更新日:2016/01/22 15:42

いずみ ゆかのプロフィール写真 いずみ ゆか ライター

広島に原爆が投下された1949年、原爆ドーム近くの西蓮寺に安置され、戦争や原爆で被害を受けた方々の心を慰めたと言われる「広島大仏」をご存じでしょうか?実は、半世紀もの長きに渡り行方不明になっていました。
しかし、東日本大震災が起きた2011年、奈良県安堵町の極楽寺におわす大仏様が”広島大仏であった”と判明。一躍ニュースに!
聖徳太子創建と伝わる古刹で今日も微笑む広島大仏様に会いに行ってみませんか?

安堵町って?極楽寺はどこにある?

安堵町って?極楽寺はどこにある?

写真:いずみ ゆか

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奈良観光に来て、JR法隆寺駅の法隆寺側である北口では無く、【反対側の南口】に降り立った経験がある方は、かなり”通な奈良旅行者”と言えるでしょう。
この南口から安堵町コミュニティバスかタクシーを利用して訪れる事ができる奈良県生駒郡安堵町が、今回ご紹介する広島大仏がおわす地。全国的にはあまり知られていませんが、この安堵町は斑鳩町に匹敵するほど聖徳太子ゆかりの地なのです。

極楽寺は、今から1400年前の用命2年(587年)、安堵町の総鎮守社である飽波(あくなみ)神社(牛頭天王社)と共に聖徳太子によって建立されたと伝わる古刹。かつては大伽藍や多くのお堂を持つ大寺でした。太子亡き後に寺勢は衰え、「往生要集」の著者として知られる恵心僧都源信によって再興、戦乱の世や明治の神仏分離令での無住の時期を乗り越えて、今日に至ります。

2011年、安堵町と極楽寺が一躍世間で注目されることに。約50年間、所在不明になっていた「広島大仏」が極楽寺の大仏だと判明したのです。広島大仏は、原爆投下後、鎮魂や戦没者供養のため原爆ドーム近くの西蓮寺に安置された仏様。
そして2011年は、奇しくも東日本大震災で福島原発事故が発生し、日本中が原発や放射能について考え始めた年でした。

文化財の宝庫、極楽寺

文化財の宝庫、極楽寺

写真:いずみ ゆか

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極楽寺は、広島大仏の存在や太子ゆかりの古刹であるだけで無く、数ある文化財も見どころ。御本尊の阿弥陀如来坐像は藤原時代の定朝様※で、穏やかな表情のお姿。国指定重要文化財です。(写真参照)

脇侍の多聞天立像と増長天立像も必見ですが、かつて大寺院であった極楽寺の江戸時代の本部「東之坊」の御本尊であったとされる「聖観音菩薩立像」が、実は御本尊の左脇側に安置されています。見逃してしまう方が多いので、お忘れなく。

※寄せ木造りを確立した平安時代の仏師・定朝にはじまる和様の仏像彫刻様式

年に一度だけ拝見可能!重要文化財の「大般若経全六百巻」と近代陶芸の巨匠・富本憲吉

年に一度だけ拝見可能!重要文化財の「大般若経全六百巻」と近代陶芸の巨匠・富本憲吉

写真:いずみ ゆか

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他にも、毎年5月の第2日曜日、午前10時から行われる「大般若転読法要」でしか拝見できない重要文化財の「大般若経全六百巻」は必見です。普段は御本尊の両脇侍横の木箱に入れられており、見る事はできません。
「大般若経全六百巻」は、極楽寺近くの安堵の守り神・飽波神社(牛頭天王社)に奉納されたもの。神仏習合の時代、飽波神社は極楽寺の境内地でした。

余談ですが、写真上部中央の文字をよくご覧頂くと、「富本」という名が記載されています。安堵町は、近代陶芸の巨匠として知られる富本憲吉氏の生まれ故郷。富本家は極楽寺の檀家だったのです。
そのため、飽波神社の鳥居の扁額は、富本憲吉氏の筆によるもの。是非、併せて訪れてみて下さい。

なぜ”広島大仏”だと判明したのか?数奇な運命をたどった広島大仏様

なぜ”広島大仏”だと判明したのか?数奇な運命をたどった広島大仏様

写真:いずみ ゆか

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話題になった広島大仏は、御本尊とは別のお堂におられます。高さ一丈三寸横八尺(高さ約4メートル)で総金箔が施された圧巻のお姿。平安〜鎌倉時代の作と考えられ、かつては山形県の福昌寺でお祀りされていました。その後、様々な事情が重なり、東京を経て、戦中・戦後は北広島の樽床※にお祀りされていました。

更にその後、原爆犠牲者を弔うため、平和を願い原爆ドームすぐそばの西蓮寺に運ばれ安置されたのです。1950年8月3日の新聞には「廣島大佛お引越し あす花車で爆心地供養殿へ」と記載があり、仮安置所から西蓮寺へ運ばれる際、広島市のメインストリートである本通り商店街を通って爆心地へ向かう”大仏様の出開帳パレード”を一目拝もうと多くの人が集まったのだとか。
しかし、多くの被爆者の心を慰めた大仏様は、5年ほどで所有権争いに巻き込まれ、行方不明になってしまったのです。
ところで、その大仏様がなぜ奈良に?そして、どうして「広島大仏」だと判明したのでしょうか?

極楽寺・副住職の小川勇義さんによると、先代住職様が20年ほど前に古物商から譲り受けたそうで、当時は由来や足取りを知らなかったとのこと。
しかし、現住職様がある日「広島大仏」の写真を見て、うちの大仏様にそっくりだと思い、鑑定士に依頼して判明したそうです。その鑑定の決め手となったのが、

●向かって右手側の目の上(右瞼)にある縦の傷(写真参照)

広島の頃からあり、現在もハッキリと分かるので、現地で是非確認してみて下さい。
判明した2011年は、東日本大震災が起きた年。現住職様は、「ただの偶然では無く、平和と復興のため大仏様は再び「私は此処にいる」と名乗られたのでは?」と述べておられます。

※現在、聖湖(樽床ダム)の湖底に沈む

衣裾あたりにご注目を!奈良と広島がつながる「世紀の出開帳プロジェクト」

衣裾あたりにご注目を!奈良と広島がつながる「世紀の出開帳プロジェクト」

写真:いずみ ゆか

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数奇な運命に翻弄されながらも、深い物語を持つ広島大仏様。
今では、かつてお祀りしていた北広島樽床出身の方がお参りに訪れることも。また爆心地近くに安置されていた当時、実際にお参りした方が再び極楽寺にお参りに来られる事もあるそうです。

2015年8月5日、「世紀の出開帳プロジェクト」が極楽寺で発表されました。先述の西蓮寺に安置するため大仏様が爆心地まで出開帳(出開仏)としてパレードしたのを再現して欲しいと広島の方々から希望の声が上がったのを受けての事です。大仏様を広島までお連れして、半世ぶりに平和のパレードが再び実現しようとしています。

大仏様は全身が金箔で覆われていますが、衣裾辺りをご覧下さい。その部分だけ、金箔が剥げてしまっているのがお分かりでしょうか?
これは、多くの被爆した方々が救いを求めて、大仏様をさすったためです。当時の人々の思いが痛いほど強烈に感じられ、本当に胸に迫るものがあります。

戦後70年が経ち、不思議なご縁でつながった奈良と広島。是非、奈良の極楽寺で広島大仏様にお会いし、2018年に実施予定の「世紀の出開帳」を実際に広島で見てみようではありませんか。

大仏様も「ほっと」安心、安堵(あんど)町と「広島大仏平和記念式典」

2011年に「広島大仏」だと判明してから、極楽寺では、毎年8月5日・6日に「広島大仏平和祈念式典」が開催されています。奈良の地から原爆犠牲者の方・戦没者の方・震災犠牲者の方を弔い、平和を祈る式典です。

そして安堵町でも、広島平和記念公園で行われる平和祈念式典の前夜(8月5日)に「広島大仏 あんど祈りのつどい」が開かれ、和ろうそくの灯芯が特産物な事から、ろうそくの穏やかな平和の灯りに包まれます。
交通が若干不便ではありますが、だからこそ安堵町はどこか懐かしい雰囲気が残り、心癒される町。流転の身だった広島大仏様もきっとこの地で「ほっと」安堵していることでしょう。

広島大仏様に会いに、そして日頃の疲れを忘れて「ほっと」一息安堵しに、奈良の安堵町と極楽寺を旅してみませんか?

※写真は全て、取材のため極楽寺の許可を得て撮影したものです。仏様を撮影希望の方は、必ずお寺の方に確認を取るようご注意下さい。
※大型駐車場あり。拝観には志納金300円を御本尊の賽銭箱にお納め下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/07/19 訪問

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