写真:和山 光一
地図を見る明治6年、後に軽井沢開発の父と呼ばれる一人の外国人宣教師が来日しました。彼の名はアレキサンダー・クロフト・ショーといい、トロントで生まれ育ったスコットランド系カナダ人でした。明治19(1886)年、軽井沢に立ち寄ったショーは、故郷・トロントに酷似した風土に感動し、以降夏の避暑地として軽井沢を訪れるようになり、翌々年には別荘を構えます。ここから軽井沢の避暑地としての歴史がスタートしました。
宣教師A・Cショーが布教活動を行った明治28(1895)年建てられた軽井沢最古の教会が「軽井沢ショー記念礼拝堂」です。旧軽銀座の商店街を抜けた木立の中に佇み、下見板貼りの建物は慎ましくかつ風格を感じさせます。礼拝堂の前にはランドマーク的存在にもなっている、ショーの胸像が建ち、敷地内には復元された別荘の起こりを今に伝えています。
写真:和山 光一
地図を見る明治21年(1888)に大塚山に建てられた軽井沢別荘の第1号が、木造でシンプルな「軽井沢バンガロー」といわれるショーの別荘「ショーハウス」です。取り壊された後に礼拝堂裏手に復元、公開されています。
初夏から盛夏は木漏れ日が美しく、秋には紅葉の中、そして冬の雪景色にも木造の建築が映えます。まずはここからスタートしてみるのはどうでしょうか。
写真:和山 光一
地図を見るアメリカ建築界の巨匠であるA・レーモンドは大正中期、帝国ホテル建築のため来日したF・L・ライトのスタッフとしてともに来日して以来、日本にとどまって建築事務所を立ち上げ、日本の近代建築に大きな貢献をした建築家でした。その代表作が米国建築学会賞を受賞した、旧軽銀座の一本北側に昭和5(1930)年に建てられた「聖パウロカトリック教会」です。
写真:和山 光一
地図を見る外から見ると傾斜の強い板葺き三角屋根と大きな尖塔が特長の欧州の田舎を思わせる軽井沢の象徴的存在の建物のひとつです。傾斜の強い三角屋根は、チェコ出身のレーモンドが故郷の伝統的なデザインを設計に取り入れたためで、太い柱と柱が、祈りを捧げるように天井に向かって力強く組まれる鋏状の三角形を基本として組むトラスト構造の天井が特徴で、材木は栗の丸太を使用しているとのことです。
堀辰雄の小説「木の十字架」で描かれていて、祈りの家ならではの穏やかな雰囲気を醸し出しています。日曜日のミサは午前9時からで、誰もが祈りを捧げることができるので参列してみてはいかがでしょうか。
写真:和山 光一
地図を見るW・M・ヴォーリズは、明治38年来日し、この年から毎夏を軽井沢で過ごしました。近江八幡に住み、キリスト教の伝道者、実業家(メンタームの近江兄弟社)、そして建築家としても多くの建築を残し、その中には、軽井沢テニスコートの裏に位置する小さな教会、「軽井沢ユニオンチャーチ」があります。
ユニオンチャーチの初代宣教師であり、地域の住民たちからも「軽井沢の村長さん」と呼ばれたダニエル・ノルマンが、キリスト教各派合同の礼拝所をと造ろうと、W・M・ヴォーリズに設計を依頼。大正7(1918)年に完成させた軽井沢ユニオンチャーチは、ヴォーリズの設計らしく斬新で人が驚くような建築物ではありませんが、使い心地の良い建築依頼者の求めに応じた温かみのある佇まいで、床や壁材には磨かれていない木材を用い、木特有の質朴さが静かなる美しさを放っています。
写真:和山 光一
地図を見るもとは鉄道技師のクラブハウスだったものを改修したらしく、祭壇がドーム型になっている変わった教会です。たくさんの窓からあふれるような光が、木造の建物に備えられた調度品をやさしく包んでいます。
TBSドラマ「カルテット」で巻鏡子(もたいまさこ)と世吹すずめ(満島ひかり)がこの教会の椅子に座って話をしていました。
写真:和山 光一
地図を見るA・レーモンドによる自身のアトリエ兼別荘として昭和8(1933)年に建てられた「夏の家」は、特筆すべき建物です。ル・コルビジェに強い影響を受けていて、この建物もコルビジェの未完の邸宅「エラズリス邸」によく似ているともいわれます。下見板張りや引き戸など、日本の伝統的木造建築の様式を生かしつつ、左手の屋根上部はV字にへこませて骨組みの美しさを表現したりと、モダニズムが注入されています。リビングルームに大きく取られた引き戸タイプの窓は、広く開け放つことができ、「夏の家」というにふさわしく、風通しは抜群とのことです。
写真:和山 光一
地図を見る移築された建物は、現在「ペイネの恋人たち」で有名なフランス人画家、レイモンド・ペイネの作品を展示する個人美術館として再生されています。しかしながら美術館の為、窓の開閉が自由でないことや、リビングルームにも座れないのが残念です。
写真:和山 光一
地図を見る塩沢湖に姿を写す別荘が「旧朝吹山荘・睡鳩荘」です。昭和16(1941)年、W・M・ヴォーリズが設計した建物の中でもこの「旧朝吹山荘・睡鳩荘」は、軽井沢別荘建築史の中でも最も上質だとして、歴史的価値のある建造物として今に伝わっています。
三井財閥の重鎮・朝吹英二の子息で、帝国生命保険や三越の社長を歴任した実業家・朝吹常吉の別荘として建てられ、その後、常吉の長女であり、ボーヴォワールやサガンの翻訳家として有名な、朝吹登水子が別荘として使用したもので、登水子女史の没後、塩沢湖畔の軽井沢タリアセン内に移築されました。
TBSドラマ「カルテット」でドーナッツホールの4人が記念写真を撮影したバックに映っていたのが塩沢湖畔に佇む睡鳩荘でした。
写真:和山 光一
地図を見る建物は、木造2階建て建築山荘風のバルコニーが印象的で、ヴォーリズ煙突と呼ばれる暖炉の煙突があるのも特徴の一つです。建物の中を自由に見学出来、バルコニーでの湖畔の風が清々しい気持ちにさせてくれます。
「睡鳩荘」の由来は、三井財閥の総帥・益田孝がかねてから購入を望んでいた朝吹家所蔵の”眠り鳩を描いた掛け軸”を売り、その代金で別荘を建てたことから名付けられたと言われています。ヴォーリズ建築が軽井沢の緑の中に現代でもなお一層美しく調和することを実証しているのではないでしょうか。
避暑地軽井沢の歴史の原点となった教会と別荘は軽井沢が持つかけがえのない財産です。軽井沢の歴史の礎を築いた教会たちは十字架ひとつとっても同じものはなく、他にも「日本基督教軽井沢教会」や「軽井沢南教会」等個性豊かな教会建築に出会えます。
また軽井沢の別荘建築は、簡素を旨とする宣教師たちの精神で貫かれた木造でシンプルな「軽井沢バンガロー」と呼ばれる別荘建築や大正末期、大規模な土地分譲と別荘建築が一体となって発展をとげた離山の「市村記念館」に代表される「あめりか屋建築」、そしてレーモンド建築やヴォーリズ建築といわれる別荘建築がまだまだ多く現存しています。軽井沢タリアセン内にも名建築が数多く移築され、保存されています。
懐かしいロマンを感じさせる教会や別荘を訪ねてみてください。そこには軽井沢が持つ魅力の真髄が存在しています。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2023/12/6更新)
- 広告 -