写真:乾口 達司
地図を見る出雲弥生の森博物館は、その名のとおり、出雲地方の古代遺跡を紹介した博物館。館内には発掘された出雲ゆかりの埋蔵文化財などが多数展示されていますが、なかでも、出雲の弥生時代を語る上で欠かせない四隅突出型墳丘墓(西谷3号墓)の巨大なジオラマが展示されている点は、ほかの考古学系の博物館にはない特色です。
写真はそのジオラマ。写真からは四隅突出型墳丘墓が、その名のとおり、方墳の四隅が大きく張り出した独特な形状をしているのが、おわかりになるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るジオラマは近年の発掘調査などによって得られた成果にもとづき、細部まで丁寧に作られています。たとえば、墳丘上に石を敷き詰め、墳丘が崩れないような工夫が凝らされているのも、その一つ。大きく張り出した四隅の登り口にひときわ大きな踏み石が並べられていることからは、四隅が墳丘に登るための通路としての役割を持っていることがうかがえ、通路としての機能を整備・拡大させた結果、四隅を異様に発達させた独特の形状を持つことになったという推論も思いつかせてくれます。
墳丘上には首長一家やその臣下と思しき人々のミニチュアも置かれており、彼らが先代の王に対する葬送儀礼に参加していることがうかがえます。ミニチュアまで配されているので、築造当時の四隅突出型墳丘墓の置かれていた状況がよくわかりますが、ほかにも、葬送儀礼の最中に四隅突出型墳丘墓に近づこうとする子どもたちを追い払う衛士や庶民、犬などの動物のミニチュアも配置されています。なかでも、大切な葬送儀礼の最中に欠伸をしている写真の衛士の様子はユーモアを誘いますね。
写真:乾口 達司
地図を見る興味深いのは、発掘調査の結果、特殊器台が発見されていること。写真はその特殊器台。特殊器台とは、弥生時代、吉備地方(現在の岡山県南部)で作られた土器のこと。特殊器台が発展して埴輪となったと考えられていますが、出雲王の墓と考えられている西谷3号墓から特殊器台が発見されているということは、出雲と吉備とのあいだに深いつながりがあったことを指し示しています。しかし、その一方、吉備地方では四隅突出型墳丘墓が築かれていないことも見過ごせません。深いつながりがありながら、なぜ、吉備地方には四隅突出型墳丘墓が築かれなかったのか。謎は深まりますね。
写真:乾口 達司
地図を見る出雲弥生の森博物館と名付けられているからといって、館内に展示されているのは何も弥生時代の異物だけではありません。写真は出雲地方を代表する古墳である「上塩冶築山古墳」(かみえんやつきやまこふん)から出土した鉄剣や鉄製のやじり。上塩冶築山古墳が弥生時代の後に来る古墳時代の築造であることからもわかるように、当館では古墳時代の遺物も多数展示されているのです。
古墳時代になると、四隅突出型墳丘墓はなぜか築かれなくなります。代わって登場するのが、ご存知の前方後円墳。その変化は、古墳時代に入り、古代出雲が勢力を伸長させてきた畿内のヤマト政権との結びつきを強めていったことを指し示しているかも知れませんが、皆さんでその謎に迫ってみるのも一興でしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る嬉しいのは、当館に隣接して西谷墳墓群史跡公園が位置していること。西谷墳墓群史跡公園には、6基の四隅突出型墳丘墓をふくめ、墳丘を持つものだけでも27基の古代の埋葬施設が点在しており、事前に出雲弥生の森博物館で学習した知識を実物と対比する形で再確認することができます。
写真は敷地内に残る西谷墳墓群のなかの西谷3号墓。そう、館内に展示されていたあの四隅突出型墳丘墓です。近年の復元工事により、築造当時の姿に戻っているため、四隅突出型墳丘墓の魅力をご自身で体験することが可能。出雲弥生の森博物館を訪れた後は、ぜひ、西谷墳墓群も見てまわりましょう。
出雲弥生の森博物館と隣接する西谷墳墓群の魅力、おわかりいただけたでしょうか。九州から東北地方にいたるまで広く分布する前方後円墳に対して、四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心とした一部の地域にしか存在しないため、出雲旅行のよい思い出となるはず。出雲弥生の森博物館で四隅突出型墳丘墓について学び、その足で西谷墳墓群も見学してください。
この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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