写真:竹内 あや
地図を見る牛頭人身の怪物ミノタウロスが閉じ込められていたという、伝説の迷宮・クノッソス宮殿。一度足を踏み入れたものは二度と出てはこられないという、まるで迷路のような複雑な造りだったといわれています。この謎の迷宮を建設したのが、名工ダイダロス。ロウで固めた鳥の羽を背に着けて空を飛び、太陽に近づきすぎて海へと落ちていったイカロスの父親、まさに“イカロスの翼”を作ったその人です。
長い間、この迷宮は単なる作り話として語り継がれてきました。ところが、1900年に始まったイギリスの考古学者アーサー・エヴァンスの発掘により、なんとこの宮殿が実在していたことが判明したのです。
写真:竹内 あや
地図を見るクノッソス宮殿は今から約3700年前、紀元前18世紀頃に建てられたと伝えられています。当時、クレタ島は建築、文化、貿易、農業において世界最高水準の文明を誇っていました。
小アジアやエジプトの技術が伝わり、紀元前20世紀頃にはすでに青銅器文明が花開いていたといわれています。遺跡から発掘された数々の出土品を見ても、いかにクレタ(ミノア)文明が高度であったのかが見てとれます。
ギリシャ神話にも登場するミノス王の下、ここを中心に政治や経済、祭祀が執り行われていました。農耕用の道具やワイン造りの器械、陶芸品、装飾品等に加え、鮮やかな色彩が美しい壁画の数々……。1辺が160mもの建物は実に複雑な造りになっていて、1200以上もの部屋があったとか――。4階建ての部分もあり、水洗トイレや浴槽跡も発見されています。
写真:竹内 あや
地図を見る宮殿跡を訪れた際に見逃せないのが、その複雑な建築構造。特に入口から入ってすぐの場所に広がる西側の建物は、実際に神殿として用いられていた部分で、1階には王座の間や奉納庫、2階には儀式場や広間、倉庫などの跡が残っています。
中庭を挟んで反対側にあるのが、王宮として用いられていた建物。中庭に面してある大階段の部分が最も高く、4階建て構造になっています。ここでの見どころは、1階部分にある女王の間。女王が使用していたとされる浴室や化粧室跡などが見られます。
写真:竹内 あや
地図を見るクノッソス宮殿の魅力は、そのロマンあふれる伝説や迷宮のような建築構造だけではありません。各部屋の壁や回廊を彩る色鮮やかな壁画もまた、見逃せません。色彩豊かに自由に描かれた「牛の上のアクロバット」や「青い鳥」、生き生きとした表情が見事に伝わってくる「パリジェンヌ」など、躍動感あふれるすばらしい絵がいくつも見つかっています。
ただし、これらの壁画はすべて複製なので、本物を見たい人は宮殿跡から車で約20分、イラクリオンの町なかにある考古学博物館へ。クノッソス宮殿で出土した品のほとんどが収められていて、歴史上におけるクレタ(ミノア)文明のすごさにじっくりと触れることができます。
写真:竹内 あや
地図を見る栄華を誇ったクレタ(ミノア)文明が、なぜ突然滅んだのかは定かではありません。サントリーニ島の大噴火と同じ時期に重なることから、地震と津波が原因だったとも、また次代に台頭するミケーネ人(ギリシャの首都アテネから約100km西、ペロポネソス半島にあるミケーネ遺跡でその繁栄を知ることができます)たちに攻撃されたともいわれています。
約40世紀近くもの間地の中に埋まっていて、現代になって突然歴史上に姿を現したクノッソス宮殿。ギリシャ神話に登場するミノス王も建物も実際に存在した!? その伝説に包まれた謎の巨大な迷宮は、今も私たちのロマンを掻き立ててやみません。
ギリシャ文明発祥の地、クレタ島。エーゲ海の南端に浮かぶ、豊穣な大地と海に恵まれたこの島の最大の見どころのひとつが、クノッソス宮殿です。ただ迷宮といわれるだけに、その複雑な建築構造を把握するのは至難の業。まずは建物の全体像を把握し、地図を頼りに順番に巡っていくといいでしょう。
できれば考古学博物館を訪れてから、宮殿跡を訪れるのがおすすめ。時代背景やクレタ(ミノア)文明のすばらしさについて学んでから見る遺跡は、またひと味違って見えてきます。ミノタウロス伝説やテセウスの英雄物語など、先にギリシャ神話に触れておくのもいいでしょう。
■アクセス:ギリシャの首都アテネから国内線でクレタ島のイラクリオンへ約50分。イラクリオンからクノッソス宮殿へは公共バスが頻繁に運行しています。所要約20分。
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(2024/12/2更新)
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