本来は火伏の神・勝軍地蔵菩薩を本尊として祀った勝軍地蔵堂の名なのですが、弁慶が戦場に赴くため三日三夜自分の立像を彫り、諸願のしるしに納めたことと、弁慶立往生の像が納められたこと、2つのことから「弁慶堂」と呼ばれるに至ったそうです。
弁慶の立像は大きく、義経の坐像もあります。格天井には草花の絵も描かれ綺麗にされていました。大切に守られてきたことが察せられます。史実では存在しなかったとされる武蔵坊弁慶ですが、ここまでされると弁慶はよもや実在していたのではないか、とつい思ってしまいます。
本堂なので中尊寺を総括する中心道場にあたるのですが、再建されたのは遅く明治42(1909)年になります。釈迦如来の本尊も失われていましたが、近年ようやく造られ、本堂本来の姿を取り戻しました。
広い向拝と大きな千鳥破風を据えた正面は立派です。その先で本尊と対峙でき、壇の両脇には延暦寺より分灯された「不滅の法灯」が護持されています。パネルで中尊寺の歩みも簡単に紹介しているのがありがたいです。
中尊寺に訪れた以上、礼儀として本堂ご本尊には手を合わせたいところです。
続いて、金色堂の宝物館である讃衡蔵(さんこうぞう)。こちらは見逃せません。中尊寺が灰燼に帰し、唯一残った金色堂は煌びやかなだけでなく、貴重な美術品も数多く納められたお堂でした。そして、これらによって奥州藤原氏の繁栄がいかなるものだったのか知ることができたのです。
展示品からは金銅飾り、螺鈿装飾が当時の平泉に伝わっていたことが分かります。金工品のクオリティは高いです。紺紙金字一切経や螺鈿八角須弥壇など国宝、重要文化財をはじめとする美術品3000点を収蔵しています。今に残る平泉の遺産をご覧下さい。
讃衡蔵から金色堂は近いです。敷地に入ると、石段の先に宝形造り、コンクリート造の覆堂が立つお誂え向きの景色になります。
内部、ガラスの向こうに金色堂は立っています。16年の歳月をかけて天治元(1124)年に上棟された奥州藤原氏の廟所にして、黄金によって支えられた平泉文化の象徴です。木材を瓦形にして葺く木瓦葺きの宝形造りで、その瓦を除いて全面に金箔が押されています。大きさは1辺が約5.5メートルです。
内陣が際立って絢爛豪華です。柱も長押も、金箔をベースに螺鈿、象牙、宝石によって細かく装飾されており、内陣の須弥壇の中に、中央は清衡、左に基衡、右に秀衡と泰衡(首桶)が納められています。須弥壇の上、阿弥陀如来を中心にして両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天という仏像構成で安置されており、金色堂が阿弥陀如来を軸にした浄土信仰に根差したものであることが分かります。
華やかな姿に畏怖さえ覚えますが、絶対に後世へと受け継がれなくてはならない日本の歴史の一部分を証明する宝であると実感します。
現在の岩手県平泉町は、のどかな田園風景のある町で、にわかに都があったとは信じられません。しかし、確かにここに京にも匹敵するような都があり、それを奥州藤原氏が築いていたのです。
金色堂と、金色堂の宝物館である讃衡蔵がその繁栄を今に伝えています。そして、かつての平泉を偲ぶ者たちによって少しずつ中尊寺も寺勢を取り戻し、現在に至っているのです。今や世界遺産となった平泉の遺した品々は、必ずや一見の価値のあるものでしょう。
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(2023/12/6更新)
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