しおまち唐琴(からこと)通りは、牛窓町の東部海岸にあり、港町として栄えた江戸時代から昭和30年代頃の面影を深くとどめた町並みです。
朝鮮通信使の交流史を伝える海遊文化館や本蓮寺をスタート地点として、町はずれの牛窓神社まで数キロ。方々寄り道しても3時間とはかかりません。
しかし、入り組んだ町並みのいたるところに往時の栄華の歴史を伝える痕跡が顔をのぞかせていて退屈することはありません。
この通りの文化を紹介する街角ミュゼ牛窓文化館は、大正4年に牛窓銀行本店として建てられ、のちに中國銀行牛窓支店として昭和55年まで使われていました。
漁師町にしては風変わりな異国情緒ただようこの通りは、町角全体が問わず語りの物語を紡ぎ出しており、歩くだけで心はしみじみした思いに満たされていきます。
唐琴通りの東端は、牛窓海水浴場を見下ろす岬の小山の上に立つ牛窓神社。おもて参道の大鳥居をくぐり途中のあずまや・望洋亭で眺望を楽しみ約360段の石段をのぼりきると拝殿に至ります。
この神殿にいたる参道を覆う社叢は、縄文時代からの植相をつたえる照葉樹林帯で、さまざまな野生生物の宝庫となっています。
ここまでの道中にはまた、17世紀後半に建てられ灯台役を果たした燈籠堂、小高い丘の上には狩野派の絵師が描いた天井絵と秘仏の千手観音像を安置する妙福寺、文政年間から材木商として栄え名主まで務めた若葉屋の蔵屋敷などなど、狭い通りを挟んで枚挙にいとまのないほどのゆかりの地が並んでいます。
鎖国政策をとった江戸幕府が、江戸時代を通して唯一国交を通じた隣国朝鮮との友好の歴史を伝える海遊文化館。
ここには、朝鮮通信使との交流の歴史を伝える展示資料室があり、文化遺産や当時の華やかな外交使節団・朝鮮通信使の行列をジオラマで再現、展示しています。
ちなみに通信使とは「よしみを通じる」といった意味合いが含まれ、この文化館に来れば、使節の交換が長崎出島の交易中心の通商とは異なる文化親善の交流を主体とするものだったことがよく理解できます。
写真の唐子踊りは、牛窓に伝わる朝鮮風の衣装を身に着けた二人の男の子が踊るもので、おそらくは通信使の置き土産と言われています。
併設のだんじり展示室では、牛窓の伝統行事・秋祭の主役である全国でもめずらしい船形だんじりを、8基のうち2基常設展示しています。ここでは、秋祭の様子もビデオと写真パネルでみることができます。
また、隣接する小山の上には朝鮮通信使の接待所となった三重の塔が美しい法華宗の本蓮寺があり、室町時代建立の本堂、中門、蕃神堂はいずれも国の重要文化財指定を受けています。
牛窓が伝えてきた朝鮮半島との埋もれた友好の歴史は、わが国の今後の日韓平和外交に一石を投じるもの。ぜひご観覧いだきたいものです。
日本のエーゲ海、恋人の聖地と、いささか面映ゆい別称をもつ牛窓ですが、そんな実感が得られる場所が瀬戸内海を借景とする牛窓オリーブ園です。
園内には山の斜面10haにわたって約2000本のオリーブが茂るオリーブ園をはじめ、オリーブ製品を主体とするおみやげもの屋さんが整備され、ショッピングは言うまでもなく島影の緑と空と海の青さの溶け合う絶景をほしいままにできます。
また、ここの売店のソフトクリームは絶品ですので、お忘れなきよう。
牛窓の町を散策し終わったら、是非フェリーで5分余りの前島へ渡りましょう。このフェリーは前島に住む島民と本土をつなぐ生活海路のため、格安料金で午前6時から午後10時まで1時間約2本のペースで往復しています。
この前島につづく黒島(くろしま)へ渡って、月の精の粋な計らいを楽しむヴィーナスロードは、若いカップルにはぜひお勧めです。
約2キロ沖にあるこの小島へは、牛窓港のホテル・リマーニの桟橋から舟が出ており、干潮時にのみあらわれる砂浜の道(ヴィーナスロード)が4つの小島を弓形に繋げ、運がよければそこを歩いて渡ることもでき、自然の神秘さを満喫できます。
2名以上であれば出航してくれますが、前日予約が必要なこと。
自然現象のため予想より潮が干かない場合や、雨天時、強風時は欠航となるため、事前にホテル・リマーニへ連絡の上お出かけください。ホテル・リマーニの電話番号はMEMOのリンクでご確認下さい。
セレンディビティ(運命の出会い)をわがものとするためには、新月・満月の大潮の前後がねらい目。
ぜひ、チャレンジしてくださいませ。
前島の楽しみは、海水浴、魚釣り、キャンプ、潮干狩りなどのアウトドアスポーツ。あるいは、島全域に点在する海岸の奇岩めぐりなど。しかし、歴史ファンには、島の東端近くにある大阪城築城残石群の残る石切り場がおすすめです。残石に残された暗号文字を探し当て読み解くのも一興です。
島には魚料理で定評のある唐琴荘はじめ、素敵な地中海料理店も目白押し。旅館、民宿も数多く営業していますので、一泊して海の幸に舌鼓を打つのもよいでしょう。
牛窓という風変わりな地名は、諸説ありますが、牛窓と前島を隔てるひときわ潮の流れが激しい唐琴の瀬戸を潮の間戸(うしおのまど)と呼んだことから転じたと僕は考えています。
日本のエーゲ海としてリゾート開発された牛窓は、今は見る影もありませんが、水軍の舟づくりに長じた船大工を多く擁したこの町は、歴史風土のしっかりと根付いた栄華の記憶をとどめる漁師町。ちょっとした散策の間にも、長く記憶にとどまるだけの貴重な発見が随所にころがっています。
車なら山陽自動車道備前インター下車。岡山ブルーラインの邑久インターから牛窓。
電車の場合は、JR邑久駅からバスで約20分。
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