仏教の聖地「東大寺」と「唐招提寺」に二人の偉人を偲ぶ

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仏教の聖地「東大寺」と「唐招提寺」に二人の偉人を偲ぶ

仏教の聖地「東大寺」と「唐招提寺」に二人の偉人を偲ぶ

更新日:2015/10/02 17:42

直 旅道のプロフィール写真 直 旅道 トラベルコーディネイター、通訳案内士(英語)

古代天平時代、日本の仏教を正しい方向へ導いた二人の偉人がいました。平城京の象徴的存在、聖武天皇(701-756)と中国唐時代の高僧、鑑真(688-763)です。この2人に縁の寺が観光地としても有名なご存知「東大寺」と「唐招提寺」です。
今回は2人が、日本仏教にどのような影響を及ぼしたのかに焦点をあてながらこの2つのお寺を紹介いたします。

大仏や金剛力士像の荘厳さと鹿のかわいさが人気の、奈良県屈指の観光地「東大寺」

大仏や金剛力士像の荘厳さと鹿のかわいさが人気の、奈良県屈指の観光地「東大寺」

写真:直 旅道

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現在の東大寺は、奈良県屈指の集客を誇る観光地。南大門に続く参道には多くのお店が立ち並び、人なつこい鹿たちも参拝客に大人気。修学旅行の生徒たちや家族連れ、個人の観光客、最近特に増えてきた海外からの訪日客などが訪れて連日大変な賑わいを見せています。

日本で最大級の大仏や運慶・快慶の造った金剛力士像があまりにも有名ですが、そもそもなぜこのような大きな大仏が造られたのでしょうか。

東大寺の歴史に聖武天皇の苦悩が見え隠れする

東大寺の歴史に聖武天皇の苦悩が見え隠れする

写真:直 旅道

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聖武天皇の生涯は、苦悩に満ちているように思われます。20代で帝位につき、子どもをもうけたものの、そのお子様が2歳でお亡くなりになり、728年にその皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりといわれています。

天皇といえど、外戚の藤原氏や皇后に頭が上がらなかったり、政敵との確執や戦に疲れ、環境をかえるため5年の間に4度も都の引越しをしたりと、悩み多き日々を過ごしていました。またこの時代、疫病の流行や天変地異も重なり、精神的なものにすがるようになり、仏教の力をもって国を立て直そうとします。

741年、護国信仰に基づいて国分寺の建立を命じ、金鐘寺を大和国分寺として金光明寺と称し743年大仏造顕の詔を公布、745年に金光明寺にて仏像造営が開始された際、東大寺となりました。
大仏は752年に完成。海外からの要人も含め1万もの人が集まり、盛大に開眼供養が行なわれました。

その後、2度に渡り伽藍は焼失しますが、江戸時代、将軍綱吉の時代に14年の歳月をかけた国家プロジェクトにより現在の伽藍が再建されたのです。仏教を大切にする日本人の心が文化をつないできました。

天平時代の人々の総力を結集してできあがった大仏

天平時代の人々の総力を結集してできあがった大仏

写真:直 旅道

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聖武天皇が完成を夢見たこの大仏様(盧舎那仏)。高さ約15メートル、重さ約250トン。顔の幅3.20メートル、鼻の高さ0.5メートルは、世界最大の木造仏像で近くで見るとその迫力に圧倒されます。

瑠遮那大仏大仏の手に、水かきがあることご存知でしょうか?これは
「まんもうそう」と呼ばれ、水1滴も漏らさないように、人々をすくい上げる、人々の心を救済するということを表現していると言われています。

前述の通り大仏様は何度か焼失して再建されていますが、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部、台座の一部(蓮弁)などは創建時のままで天平文化を今に伝えています。

この大仏様は国宝には珍しく、写真撮影もOKです。いつも撮影渋滞が起こっていますのでタイミングよく撮影してください。

日本仏教を正しい方向へ導いた偉人、鑑真創建の唐招提寺

日本仏教を正しい方向へ導いた偉人、鑑真創建の唐招提寺

写真:直 旅道

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聖武天皇の治世、仏教界は世俗にまみれ乱れていました。租税逃れや権力欲のため僧になるものも多く、これを正すため天皇は中国(唐)の高僧に来日してもらい真の仏教を教えを請おうと考えられ、そこに白羽の矢が立ったのが鑑真です。

鑑真の来日は困難を極め、途中失明もし6回目の渡航にてやっと成功(753)。決心してから10年以上の月日がながれ鑑真も60代半ばになっていました。

来日して数年間は東大寺にて戒壇を造り聖武天皇はじめ人々に真の仏教を教え、その後活躍の場を唐招提寺に移します(759)。

唐招提寺の金堂は、創建時の姿を残す代表的な天平建築物で、堂内には、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像が立ち並びます。その並ぶ姿は美しく、厳かな雰囲気に包まれています。

現代にも通じる鑑真のシンプルな教え

現代にも通じる鑑真のシンプルな教え

写真:直 旅道

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ここ唐招提寺で鑑真は仏教の戒律を説きます。「生き物を殺していけません」「人のものを盗んではいけません」とその教えはシンプルで現代の我々にとっても何の違和感もないものです。

鑑真は763年に入滅されますが、敷地内にあるその御廟には、1200年以上に亘り、参拝する人が途絶えません。また国宝の鑑真和上像には毎年6月5日から7日まで命日を含む3日間に限り公開されるのですが、毎日参拝できるよう御身代り像が、2013年に完成して公開されています。

この身代わり像は奈良時代の脱活乾漆技法を忠実に踏襲し、色合いや柔和な表情など、今にも和上が語りかけてくるようです。

まとめとして

聖武天皇と鑑真和上。同時代に生きたこの二人によって日本仏教の方向性が決定付けられました。
仏の力により天下安寧を願った聖武天皇。人としての正しい生き方を人々に教えた鑑真。
心がざわついたり、荒んでいると感じた時には、手を合わせに訪れてみてください。拝観後には心が美しくなったような気がする天平のお寺。歴史を知ってから行くとまた新たな発見があると思います。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/26 訪問

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