富山で楽しむカナルクルーズ!日本のパナマ運河を目撃!!

富山で楽しむカナルクルーズ!日本のパナマ運河を目撃!!

更新日:2013/06/10 11:20

皆さんは「日本のパナマ運河」と呼ばれている場所があるのをご存知ですか? そこは富山県。運河に設置されている中島閘門(こうもん)が、全国でも珍しいパナマ運河方式を採用しているのが、呼び名の所以なのですが、そのパナマ運河方式というシステムは見てるだけでも興奮するくらいとってもユニーク。今回は、その閘門を水上から楽しめるカナルクルーズに乗船してきたので、ご紹介しようと思います。

スタートは環水公園から

スタートは環水公園から
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JR富山駅北口から10分ほど歩いたところにある環水公園。
この公園のシンボルである3つの橋を合体させた作りの天門橋(てんもんきょう)のそばに、環水公園と中島閘門を結ぶ「富岩水上ライン」の乗降場とチケット売り場があります。チケット発売は午前9時30分から。なお、富山駅北口にあるポートラムショップでは午前7時から購入できます。気になるお値段ですが、環水公園から中島閘門まで片道500円、往復で1000円です。

ソーラー船「sora」で出発進行!

ソーラー船「sora」で出発進行!

これが運河クルーズの主役「sora(そら)」です。その名の通り、太陽の力で動くソーラー船です。定員は55名。今年のダイヤでは環水公園を10時、13時10分、15時45分に出発する3便が運航されています。10時および13時10分発の便は富山湾のすぐそばにある岩瀬カナル会館行きとなっており、こちらは片道1500円、1時間のロングクルーズです。そして最終便の15時45分発が中島閘門までの片道30分クルーズになります(片道500円・往復1000円)。この運河クルーズの魅力を、手っ取り早く感じたいという人には、この最終便がオススメです。私も15時45分の便に乗船してみました。

野鳥ウオッチも、橋くぐりも満喫

野鳥ウオッチも、橋くぐりも満喫

乗船者はまず、救命胴衣を着用します。左胸には笛が入っています。もし、運河にポチャっと落ちた時は、これを吹いて助けを呼びます。
出発直後、右手にはあいの島・バードサンクチュアリがあります。
アオサギやコカモなど環水公園に暮らす野鳥たちがsoraを見送ってくれているように見えます。
しばらくすると右手には住宅街が。運河沿いということもあって、その名も「コーポ・カナル」なのです。
左手はあまり住宅が見当たりません。
両岸に中島閘門に続く遊歩道が設けられていて、ウォーキングやジョギングを楽しむ人の姿も見られます。

この「日本のパナマ運河」クルーズですが、熱帯雨林のジャングルに囲まれた本物のパナマ運河クルーズよりは世界三大運河のひとつ・キール運河(※)のようなおもむきです。
※ドイツのユトランド半島の田園地帯を横断し、北海とバルト海を結ぶ

ちなみに、パナマ、キールと並び3大と称せられる運河はもちろんエジプトのスエズ運河です。

そして運河にかかるいくつかの橋をくぐりますが、その通過を水面から見上げるのも普段はあまりできない体験です。

富山弁のガイドを聞きながら、運河の歴史をおさらい

富山弁のガイドを聞きながら、運河の歴史をおさらい

ここで、なぜ富岩運河ができたのかについて考えてみましょう。
そもそも富山県は石川県から明治16(1883)年に分離独立して誕生したのですが、そのきっかけとなったのが洪水問題でした。

洪水から生まれた県ということもあって、その県庁所在地・富山市も洪水に悩まされていました。
富山市を流れる神通川の河道は、明治の頃は東に大きく曲折していたため、多くの洪水を引き起こしていたのです。
そこで洪水問題を解決すべく神通川の改修が必要となります。

明治34(1901)年からの神通川の2次改修では、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの提案を受け馳越(はせこし)工法(幅2m、深さ1.5mの細い水路を作り、洪水の力で土砂を削り新しい河道を造るもの)により直線の放水路を建設しました。

この工事の結果、大正11年頃に馳越水路が本流になりました。(現在の河道)

しかし、旧河道が富山市街地を分断する形で残り、都市の発展に大きな障害となりました。

このため富山県は、昭和3(1928)年に画期的な都市計画決定をしました。
1.富岩運河を新設し、沿川に工場を誘致。
2.運河を掘った土砂で神通川の跡地を埋め立てて、新市街地を整備。
3.残る土砂で東岩瀬港の岸壁、埠頭用地を整備。

富岩運河は昭和5(1930)年に着工し10(1935)年に完成。その後、富山の工業化に大きく寄与しました。

しかし、時代が変わり物流が、船運からトラック輸送に変わり水も汚れ、一時は埋立てて、道路にする計画を立てていました。
それが現在の環水公園および富岩運河に生まれ変わったのです。

こうしたお話を富山弁の名調子ガイドが語ります。
ちなみにガイドもちゃんと救命胴衣を着用です。

いよいよ日本のパナマ運河・中島閘門へ

いよいよ日本のパナマ運河・中島閘門へ
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そんな富山弁丸出しの解説を聞いているうちにsoraは中島閘門に近づいていました。
永代橋をくぐると、中島閘門が見えてきます。

中島閘門が完成したのは昭和9(1934)年のこと。
出発した環水公園からここまでの水位は標高プラス2.7メートル。
いっぽう、閘門の向こう側、つまり富山港(下流)の平均潮面はプラス0.2メートル。
つまり中島閘門はこの高低差2.5メートルを水の出し入れで調節して、200トン級の船の通航を可能にするのです。
そして全国でも珍しいパナマ運河方式の閘門を採用しています。
それゆえに、ここは小さいながらも「日本のパナマ運河」と呼ばれているのです。
そして、平成10(1998)年には昭和の土木構造物では全国で初めて国の重要文化財に指定されています。

中島閘門を通過するのは10時および13時10分発の岩瀬カナル会館ゆきの便だけで、私が乗った便は中島閘門でいったん下船です。
しかし、この便だけのお楽しみがあります。
それは、ガイドによる中島閘門の解説です。
さらに水位を調整して運河の船をスムーズに通行させる閘門をコントロールする操作室の見学も行われます。

この間、ざっと10分くらいです。

その後、往復チケットを買った人はsoraに再乗船し、環水公園まで運河クルーズです。
この富岩水上ライン、今年は12月1日までの土日祝に運行される予定です。

運河クルーズはもちろん楽しいのですが、
運河や中島閘門の歴史を学ぶこともでき、
とっても有意義な1時間でした。

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掲載内容は執筆時点のものです。

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