ドイツフランス公園は、ドイツ西部のフランスとの国境にある小さな町、ザールブリュッケンにあります。ザールブリュッケンとは、ザール川に架かる橋という意味です。
ザールブリュッケンは、人口が18万人ほどの小さな町ですが、昔は石炭や鉄鋼で栄えました。文化や方言そして人々のメンタリティーにいたってはフランスの影響が多分にあります。
フランクフルト空港からは約180km、車でも電車でも1時間半ほど、フランスのパリまで電車で2時間弱そしてスイスのバーゼルまで車で3時間弱と、ザールブリュッケンはヨーロッパ内で交通網に恵まれた地理条件にあります。
ザールブリュッケンの中央駅からドイツフランス公園までは、幾つかバスがあり便利です。ドイツフランス公園南口には、123番のバスで行きましょう。北口へは121番と126番で行けます。どのルートで行っても、10分ほどで着きます。
ドイツフランス公園の大きさは約50ヘクタール。公園は、1950年から1960年代に作られた公園建築を維持している数少ないものなので、民間の機関であるドイツ文化財保護機構により保護されています。ドイツ文化財保護機構の情報はメモをご参照ください。
写真は秋の風景なので、華やかな花の絨毯というわけにはいきませんが、春から夏にかけては様々なバラが植えられ、桜の花は満開になり、ガーデンいっぱいに咲き乱れた様々な花たちは、訪問者の目を楽しませてくれます。
秋には、様々な鳥を観察できます。まず、湖のほとりはたくさんの白鳥、カモ、アヒルの大家族で賑わいます。カモやアヒルにも、様々な種類があって、それぞれのユニークな風体を眺めていると、和やかな気持ちになります。不定期に見かけるのはフラミンゴやペリカン等です。湖の一角に小さな島が作ってあり、夜になると野鳥たちは島で休みます。キツネなどから身を守るためです。
1962年には200羽いたとされる野鳥ですが、近年はヴァンダリズムの影響で数が減ってきていると言われています。
ドイツ人カタリナワイスゲルバーは、1870年に勃発した普仏戦争の激戦地の一つ、ロレーヌ地方で負傷者の介護に奔走しました。8月6日のシュピシェレンの大虐殺の際には、前線に無防備で出て行き、国籍は構わず倒れた戦士のもとへ駆けつけ介抱したことで知られています。
彼女は勇気ある行動により、戦功のあった軍人に対して授与された勲章である鉄十字勲章を授与しました。彼女の鉄十字勲章には、一般の軍人が受ける勲章に赤十字のシンボルがついていました。
1886年に69歳で亡くなりますが、偶然にもシュピシェレンの大虐殺と同じ日の8月6日に亡くなりました。
彼女の栄誉を称えて、ザールランド州にその名前をつけた学校が幾つか作られました。
ネットを通しての情報が少ないドイツフランス公園の美しさは、遠くに住む日本人にはなかなか伝わる機会がありません。春から夏にかけてドイツに旅行を検討中の方は、フランスとの国境の町、ザールブリュッケンを通ってドイツフランス公園で憩ってみてはどうでしょうか。しばらく雑多を忘れて、自然の美しさと歴史に思いをはせてもいいかもしれませんね。
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(2025/2/7更新)
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