特別なお守りも!埼玉県「高麗神社」の出世・開運実績がすごい!

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特別なお守りも!埼玉県「高麗神社」の出世・開運実績がすごい!

特別なお守りも!埼玉県「高麗神社」の出世・開運実績がすごい!

更新日:2015/11/01 17:38

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー

“参拝後に多くの政治家が総理大臣になった”という“出世・開運の神様”がいるのが、埼玉県日高市にある「高麗神社」です。ここは高句麗遺民によって守られて来た神社。2016年は高麗郡創設1300年の記念の年。“三足烏御守”や”導御守”など特別のお守りを手に入れる事ができます。激動の古代史も体験しましょう。

参拝すると出世できる

参拝すると出世できる

写真:松縄 正彦

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濱口雄幸、若槻禮次郎、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎・・これらの政治家の名前を皆さんも1度は聞いた事があると思います。大正から昭和初期に活躍した大物政治家の皆さんですが、この神社に参拝後、皆さん総理大臣になられたのです。開運実績すごいですね。

このためでしょうか、この神社には皇族方をはじめ、文化人も多く参拝されています。例えば、文人では坂口安吾、太宰治や壺井栄、また岡本太郎さんの父君である漫画家の岡本一平さんなどです。ここは一流名士に参拝されてきた特別の開運・出世明神がおられる神社なのです。
それでは運を開きにご参拝しましょう(写真、御神門)。

高麗神社の見どころ〜三足烏・導御守〜

高麗神社の見どころ〜三足烏・導御守〜

写真:松縄 正彦

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一の鳥居をくぐると、右手に“将軍標(チャンスン)”(写真)、天下大将軍と地下女将軍の男女1対の2柱があります。これは集落や寺院の入口で邪鬼悪霊の侵入を防ぐ”魔除け”、日本の道祖神に相当する朝鮮半島の習俗です。高麗川駅にも建てられています。

境内をさらに進むと、二の鳥居の手前に“芳名板”があり、参拝された有名人の方々の名前が書かれています。皆さんご存じの俳優やタレントの名前が見つかるかもしれません。

二の鳥居をくぐった先の参道突き当りにあるのが御神門(前掲写真)です。ここで扁額に目を向けてください。面白い事に高麗神社ではなく、“高”と”麗”の間に小さく“句”の文字が書かれ、高句麗神社と記されています。これは10世紀に興った“高麗”と区別するためだとされます。

さて、御神門から参拝した後で、横の参集殿にゆき、ここで”出世開運御守”を手に入れましょう。また、ここで“三足烏(さんそくからす)御守”も手に入れる事ができます。三足烏(八咫烏)といいますと和歌山県の熊野三山のトレードマークですが、実は三足烏は”高句麗”国のトレードマークでもあったのです。

古代、三足烏は中国東北地域で信仰されていたといわれ、太陽神のシンボルとされています。このお守り、後述の高麗郡創設1300年記念事業として特別に奉製されたもので、”諸願成就のお守り”です。また同じく目標達成などの導きをする”導(みちびき)御守”もあります。
この神社では開運に向け、お守りも多く用意されているのです。

韓国ドラマに出てくる国、”高句麗”と深い関係がある神社

韓国ドラマに出てくる国、”高句麗”と深い関係がある神社

写真:松縄 正彦

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高麗神社に祭られているのは「高麗王若光(こまのこぎしじゃっこう)」です。聞きなれない神様ですが、日本古来の神様ではありません。この方は、665年に高句麗の外交使節の1員として日本に来られた方です。
当時の朝鮮半島は、新羅が唐と連合し、百済を滅ぼし、次に高句麗がターゲットになるという切迫した情勢でした。

高句麗というと分かりにくいかもしれませんが、韓国ドラマの「朱蒙(チュモン)」が建て、「広開土太王」が領土を広げた国で、中国東北部から朝鮮半島北部を領土としていたといえばご理解いただけるでしょう。韓ドラでも三足烏がでてきましたね(写真、三足烏御守)。
この激動するアジア情勢の中、多数の高句麗人が渡来したのですが、結局668年に高句麗が滅亡し、若光も故郷に帰る事はできませんでした。

このような中、1,799人の高句麗人を武蔵国に集め、”高麗郡”が創設され(716年)、未開の地の開拓を行う事になりました。高麗郡は今の飯能市と鶴ヶ島市全域、飯能・入間・狭山・川越市の一部を含む広い範囲でした(明治に入間郡に併合)。
若光はこの高麗郡の初代長官として、人々を良く指揮し開発を先導したといわれます。この徳をしのんで、死後に高麗郡の守護神として祭られたのです。

またこの神社は、代々ご祭神(若光)の子孫が宮司を務めるという日本でも稀な神社です(現在、60代目)。神社入口にチャンスン(写真)が建てられているのはこのような背景があるのです。

国を失い、遺民を率いての開拓は苦労の連続であったと思われますが、その分仲間の結束が強かったのだと思われます。この神社の出世・開運も、”苦しくても努力する人”に対して若光が応援しているかのようです。また導御守はこの若光の”指揮先導”にちなんだお守りなのです。

高麗王若光をとむらう寺〜聖天院勝楽寺〜

高麗王若光をとむらう寺〜聖天院勝楽寺〜

写真:松縄 正彦

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さて、ここで高麗神社の二の鳥居に向かって、左手の道を歩いてみましょう。暫く行くと“聖天院勝楽寺”にたどりつきます。ここは高麗王若光の菩提を弔っている寺で、若光に従った僧「勝楽」により発願され751年に創建されたものです。
この寺の入口(雷門)前にもチャンスン(石柱)が建っています。高麗神社のチャンスンは参道横に建てられていますが、ここでは道の両脇に建てられ、境内をより強く守っているようです。

雷門をくぐると、右手に若光の墓と伝わる”高麗王廟”があります。また少し階段を上りますが、中門から上に登りますと鐘楼の脇に高麗王若光の石像が立っています(写真)。肖像画が残されていた訳ではありませんが、石像の顔はいかにも指揮者らしいお顔をされています。

2016年は高麗郡創設1300年

キトラ古墳の壁画職人、聖徳太子の師であった僧「慧慈(エジ)」、あるいは紙墨や絵の具製作の達人であったといわれる僧「曇徴(ドンチョウ)」が来日するなど高句麗は日本といろいろな交流があった国でした。
埼玉県には高麗郡の後、758年に朝霞市周辺に新羅郡も創設され(後日、新座郡に名称変更)ました。東京の深大寺周辺には両渡来人が混在していたといわれます。
このように古代日本は敵も味方も混在した、いわば多国籍国家だったのです。

2016年は高麗郡が創設されて1300年という記念すべき年です。各種のイベントも計画されています(メモ欄参照)。神社に参拝しながら日本の歴史を振り返るのはいかがでしょうか。新しい視点で運が開けてくるかもしれません。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/26 訪問

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