広さ43ヘクタールにも及ぶペール・ラシェーズ墓地は、フランス革命以前、17世紀中頃までキリスト教カソリックのジュズイット修道会(別名イエズス会)の僧院でした。しかし、革命直前に修道士たちは追われ、1803年にパリ市当局に接収されて墓地となった場所です。墓地の名前は、ルイ14世の聴聞告解師だったジュズイット会士のペール(フランス語で神父の意)・ド・ラ・シェーズにちなんで付けられました。
ペール・ラシェーズ墓地は、かなり広い上に、曲がりくねった迷路のような小道が入り組んでいて、お目当てのお墓を見つけるのは想像以上に大変です。
しかし、たくさんの木々に覆われ、静寂に包まれた墓地の中は、歩いているだけでも別世界にいる気分。観光客で賑わうパリの喧騒を忘れさせてくれます。とくに美しい霊廟の並ぶ小道は、まるで映画『オペラ座の怪人』の中のワンシーンのように幻想的で、時代を遡ったような雰囲気が漂っています。
フランスを代表する女性シャンソン歌手、エディット・ピアフ(生1915−没1963)のお墓は、今でも多くの世界中のファンから美しい薔薇の花束が手向けられています。
パリの下町で不幸な環境に育ちながらも、その後シャンソン歌手として大成功を収めたピアフ。ボクサーの最愛の恋人を飛行機事故で失うという悲劇に見舞われながらも、その思いを歌に込めて強く生きた女性です。
そんな彼女は、フランスで最も敬愛される国民的歌手の一人。彼女の代表する『ばら色の人生』や『愛の賛歌』は、日本人でも誰もが聞いたことがある名曲です。歌詞の中に反映された彼女の華やかで孤高に満ちた人生は、やはり魅力的で麗しい薔薇が一番似合うのではないでしょうか。
1871年、パリの労働者を中心に市民が蜂起して樹立した革命自治政府パリ・コミューン。世界最初の純粋共産主義政権と言われましたが、わずか2か月で崩壊します。
そのとき、コミューン側の市民が政府軍に追い詰められ、立てこもったのがペール・ラシェーズ墓地です。「血の一週間」と言われ、最期は147名の虐殺によって終わりを告げますが、そのときコミューン側の市民が銃殺された墓地の南東角の場所には、「連盟者の壁」と名付けられたプレートが壁に掲げられてあります。
この壁の周囲には、多くの有名な共産主義者のお墓もあり、パリで起きた大きな悲劇を悼む人々が、今も欠かさず美しい花々を手向けています。
ペール・ラシェーズ墓地はかなり広く、大小さまざまなお墓が無数にあるので、すべての有名人のお墓を探して回ろうとすれば、かなりの時間と体力を必要とします。墓標が小さかったり、古かったりして、見過ごしてしまうこともしばしば。効率よく回られたい方は、訪れたい有名人のお墓をリストアップしてから行かれることをお勧めします。
また、墓地の入口には有名人のお墓の所在地が書かれた看板があるので、それを参考にすると良いでしょう。
ペール・ラシェーズ墓地は、緑豊かな美しい公園といった感じで、陰気さや辛気臭さはありません。しかし、あくまでも亡くなった方々の眠る場所なので、あまり大騒ぎをせず、静かに見学しましょう。
ペール・ラシェーズ墓地はパリ市内の東に位置しており、訪れるにはメトロ(2)(3)のペール・ラシェーズ(Pere Lachaise)駅、もしくはメトロ(3)のフィリップ・オギュスト(Philippe Auguste)駅で下車すれば、近くて便利です。
また、墓地の開館時間と閉館時間は、週末や時期によって時間が異なるので、観光案内所等であらかじめ確認してから行かれるとよいでしょう。
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(2024/9/18更新)
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