古墳?タイムカプセル!?謎を秘めた奈良県橿原市の益田岩船

古墳?タイムカプセル!?謎を秘めた奈良県橿原市の益田岩船

更新日:2015/10/18 14:34

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
古代史の謎を伝える奈良県の飛鳥地域。その周辺地域には数々の謎の石造物が点在しています。なかでも、明日香村にほど近い橿原市の山中にある益田岩船は、その巨大さや奇妙な造型性などから、古代の石造物のなかでももっとも謎めいた存在であるといえます。益田岩船はいったいどのような目的にもとに造られたのか?今回はその謎に迫ってみましょう。

石碑の台石?天文台?タイムカプセル?山中にひっそりたたずむ謎の巨石・益田岩船

石碑の台石?天文台?タイムカプセル?山中にひっそりたたずむ謎の巨石・益田岩船

写真:乾口 達司

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橿原市の中心部から車で約10分。益田岩船(ますだいわふね)は、明日香村や高取町との境界に近い山中にひっそり残されています。石の材質は花崗岩。その大きさは東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートルと巨大で、重量も800トンから900トンにのぼると推定されています。その存在は江戸時代にはすでに広く知られており、大和国内の名所旧跡などを紹介した『大和名所図絵』にも図入りで紹介されています。

用途をめぐっては、古墳のほか、平安時代に造られた灌漑用の貯水池「益田池」の築造を記念して弘法大師・空海が建立した石碑の台石、星占いをおこなうための天文台、ゾロアスター教徒のための拝火台(松本清張『火の路』)などの説が打ち出されていますが、いまなおはっきりしたことはわかっていません。ちなみに、漫画家・諸星大二郎の代表作『暗黒神話』では、主人公・武の前にたびたび姿を現す謎の老人・竹内を数千年にわたって生きながらえさせてきたタイムカプセルとして設定されています。

作りかけの古墳?横口式石槨の可能性を秘めた特異な構造

作りかけの古墳?横口式石槨の可能性を秘めた特異な構造

写真:乾口 達司

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なかでも、現在、益田岩船を建造中の古墳であったと考える説が有力です。この説で着目したいのは、上部に開口している2つの大きな穴。写真は東西に並んだその穴を撮影したものですが、それぞれに水を溜めたこの穴、いったい何だと思いますか?

そのヒントとなる古墳があります。益田岩船から南西約500メートルに位置する牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)です。近年の発掘調査により、斉明天皇の真の陵墓である可能性が高まり、話題となった古墳ですが、この牽牛子塚古墳の石室は巨石をくりぬいた「横口式石槨」と呼ばれる形式のもの。牽牛子塚古墳の場合、この横口式石槨が2つ並んで設けられています。実は、上部の穴が側面になるように益田岩船を横に倒すと、牽牛子塚古墳と同様、横口式石槨が2つ並んだような形をしていることがわかります。つまり、益田岩船は何かの事情で建造が中断・放棄された作りかけの横口式石槨(古墳)であり、牽牛子塚古墳のプロトタイプであるというわけです。確かにそういわれれば、そんな気がして来ますね。

途中で放棄された秘密が写り込んでいる!?側面の様子

途中で放棄された秘密が写り込んでいる!?側面の様子

写真:乾口 達司

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益田岩船が作りかけの古墳であったとしましょう。では、なぜ、建造が途中で放棄されなければならなかったのか。その疑問を解く鍵は、益田岩船の側面にあります。先に掲載した写真において、2つの穴にそれぞれ水がたまっていたのを思い起こしてみて下さい。水が上部までしっかりたまっているのが、東側の穴。西側は水が半分程度しかたまっていませんが、その点を踏まえてこちらの写真をご覧いただくと、側面から湧き水のように少しずつ水が流れ出しているのが、ご覧いただけるでしょう。水が流れ出しているのは、西側の穴の側面。つまり、西側の穴のどこかに亀裂があり、そこをつたって水が流れ出しているため、東側に比べて、西側の穴の水量が少ないのです。

死者を埋葬する古墳では、石室に亀裂があるというのは、致命的な欠陥です。なぜならば、死者をそこに葬ったとしても、やがて亀裂を通して内部に水がたまり、埋葬施設としての意味をなさなくなるからです。下手をすると、雨水の浸透によって亀裂が拡大し、石室そのものの崩壊すら招きかねません。益田岩船を作りかけの古墳と考える人たちは、それこそが途中で放棄された理由であると考えていますが、果たして真相はいかに?ご自身でも益田岩船の正体を考えてみてはいかがでしょう。

側面をさらに詳しく観察しよう!謎めいた紋様

側面をさらに詳しく観察しよう!謎めいた紋様

写真:乾口 達司

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益田岩船の側面をさらに詳しく観察すると、ご覧のような謎めいた紋様が広く刻まれているのが、おわかりいただけるはず。益田岩船=横口式石槨説をとる人は、石槨の形を整えるためになされた彫刻の一貫と見なしているようですが、もちろん、真相は不明。側面の造形も観察すると、益田岩船の神秘性がさらに増しますよ。

歩行には気をつけて!益田岩船までの険しい山道

歩行には気をつけて!益田岩船までの険しい山道

写真:乾口 達司

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益田岩船は橿原ニュータウンと呼ばれる新興住宅地に隣接する丘陵の一画にあり、アクセスは快適です。しかも、山道を登ること、10分足らずで到着するので、嬉しいかぎり。しかし、途中にはご覧のようにロープをわたした難所もあり、歩行にはくれぐれもご注意下さい。雨の日など、天候の良くない日は特に危険。益田岩船を訪れるのは、お天気の良い日を選びましょう。

おわりに

益田岩船がいかに不思議でさまざまな謎を秘めた巨石であるか、おわかりいただけたでしょうか。益田岩船の位置する橿原市に隣接する明日香村にも数多くの謎の石造物があり、益田岩船とセットで見てまわることをお勧めします。ご自身の足で益田岩船を訪れ、その巨大さと造形性に魅了されて下さい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/10/10 訪問

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