日本に2つしかない星形の城!「函館五稜郭」にタイムトラベルしよう

日本に2つしかない星形の城!「函館五稜郭」にタイムトラベルしよう

更新日:2017/08/02 14:26

いなもと かおりのプロフィール写真 いなもと かおり 城マニア・観光ライター
北海道函館市は、函館朝市や、100万ドルの美しい夜景の地としても有名な観光地です。今から約150年前、火器が主流となった実戦では、天守閣のある従来の和式城郭が適応できなくなっていました。1854(安政元)年、日米和親条約で下田と函館の2つの港が開港され、外国との交流が持たれる中、西洋の稜堡式城郭が誕生しました。星の形をした一見かわいらしい城のとんでもない防衛力を見学しにいきましょう。

一足先に五稜郭タワーに登ろう

一足先に五稜郭タワーに登ろう

写真:いなもと かおり

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激動の幕末期に函館が開港され、その防衛のため1864(元治元)年に函館五稜郭が築城されました。火器が主流となった戦に適応した城を築くため、西洋兵学を学んだ武田斐三郎は、十六世紀にフランスで考案された西洋の稜堡式城郭を設計しました。

史跡指定面積は東京ドーム約5個分の約251,000平方メートル、五稜郭の水堀の周囲は約1.8キロメートル、史跡指定されている周囲は約3キロメートルにも及ぶ特別指定史跡です。

一足先に五稜郭タワーに登ろう

写真:いなもと かおり

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星形の外に設けられた「半月堡」は、侵入してくる敵の兵に側面攻撃をする「横矢掛け」の効果や、味方の兵を溜めておく「馬出し」の効果があり、虎口(出入口)を守る防御力の高い仕掛けの一つです。星形の城としても有名ですが、実は五稜郭は未完成。『五稜郭初年度設計図』では、5カ所に半月堡を設ける予定でしたが、予算の都合で大手口に1カ所のみしか設けられませんでした。

史跡の横に聳える五稜郭タワーには、90メートルの位置に展望台があり、史跡の全貌や函館の街並みを見渡せるようになっています。史跡に訪れる前にタワーに登ると、ルートを予習できることができるためオススメです。

最初の難関「身隠土塁」を突破せよ

最初の難関「身隠土塁」を突破せよ

写真:いなもと かおり

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「身隠土塁」は、別名「一文字土塁」とも呼ばれる防御壁です。土塁の幅は約30メートル、高さ6メートル、正面と両脇には石垣が巡らされています。

身隠土塁は、城内の様子がわからないように遮断する目的と、また侵入してくる兵を分散させ大挙させないようにする効果があります。

最初の難関「身隠土塁」を突破せよ

写真:いなもと かおり

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近世城郭といえば、総石垣で張り巡らされた堅固な城というイメージですが、函館五稜郭の場合は「土塁(土で盛った防御壁)」を重要視しました。銃や大砲などの火器を使用した実戦に適応したのが、吸収性の高い土塁だったのです。土塁の高さは約5〜7メートル、厚さは底部で27〜30メートルもありました。かなりの厚みがあり、防衛力の高さを窺うことができます。

珍しい遺構「刎出し」を確認せよ

珍しい遺構「刎出し」を確認せよ

写真:いなもと かおり

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「武者返し」と呼ばれる築城技術の一種。石段の最上段から二段目の石を外側にせり出させ、敵が侵入するのを防ぐ効果があります。これは「刎出し」と呼ばれ、半月堡と大手門の石垣に設けられています。「刎出し」は全国的にも珍しく、長野県の「龍岡五稜郭」と、熊本県の「人吉城」、東京都の「品川台場」など数例にしか見られない希少価値の高い遺構です。

幕末に導入された欧米式の築城技術に、和式の技術である武者返しの技術が融合した珍しい遺構で、見所となっています。

唯一の現存「蔵」を見学せよ

唯一の現存「蔵」を見学せよ

写真:いなもと かおり

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五稜郭にある建物のほとんどは1871(明治4)年に解体されてしまいましたが、唯一免れたのが「兵糧庫」です。
大正6(1917)年には「懐旧館」として箱館戦争の展示資料館として利用されていました。現在は、特別公開時以外は立ち入ることができません。

平成13、14年度の修理工事の際には、文献史料や発掘調査から庇屋があったことが判明し、現在復元されました。外壁は漆喰塗り。箱館戦争の際に兵糧庫として使用されていたため、この呼び方となったそうです。

「箱館奉行所」で箱館戦争の歴史を学ぼう

「箱館奉行所」で箱館戦争の歴史を学ぼう

写真:いなもと かおり

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日本の開国は、徳川幕府を崩壊へと導くきっかけとなりました。日本を二分した1868(明治元)年「箱館戦争」へと歩んでいきます。倒幕後、旧幕府軍は五稜郭へ入り、新政府軍との戦いが行われました。旧幕府軍の榎本武揚は蝦夷地に新しい独立国家を樹立させようと画策していたのです。新政府軍は多くの兵を導入し、圧倒的に有利な状況で旧幕府軍の防衛線を次々に突破していきました。そして1869(明治2)年5月11日、函館戦争最大の激戦が繰り広げられ、18日には榎本武揚が降参する形で終戦となりました。

五稜郭内では中央に太鼓櫓が付いた「箱館奉行所」が2010(平成22)年に復元され、内部を見学できるようになっています。大広間や表座敷、また五稜郭築城に関する説明や、箱館戦争に関する歴史が展示され学べるようになっていますので、ぜひ入館下さい(箱館奉行所の中は有料です)。

四季折々の函館五稜郭を見に行こう!

公益財団法人日本城郭協会が定める「100名城」にも指定されている函館五稜郭は、無料で見学することができます(一部有料)。春は桜の名所としても有名ですが、冬場もイルミネーションのイベント「五稜星の夢」が催され私たちを楽しませてくれます。平成27年11月28日〜平成28年2月29日まで、五稜郭の外堀周囲約1.8キロメートルに渡りイルミネーションが施され、ロマンチックに彩られた五稜郭を楽しむことができます(詳しくは関連MEMOにリンクしたサイトをご覧下さい)。四季折々で表情を変える函館五稜郭!あなたもその魅力にハマってみませんか?

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/10/09 訪問

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