加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来する、金沢市主計(かずえ)町。
尾張町方面から向かうと、浅野川大橋の右手が、茶屋街としては一番規模の大きな、ひがし茶屋街が広がり、左手が今回ご紹介する主計町茶屋街となっています。
主計町茶屋街のメインストリートは、浅野川に面しています。
男川と喩えられる犀川に対して、女川とも呼びならわされた浅野川のたおやかな風情とあいまって、非常に清明な雰囲気の漂う街です。
しかし、川の気配に満ちた、透明感溢れる表通りを一歩折れただけで、昼間でも仄暗い裏通りが存在します。
この裏通りこそが、主計町の魅力の真骨頂。
どこからともなく笛や太鼓の音が幽かに聞こえることもあり、まるで異世界に通じる空間のようです。
さて、主計町茶屋街のその裏道に、魅力的な坂道が二つあります。
三つの台地に犀川と浅野川が組み合わさってできた、高低差のある複雑な地形である金沢には、数多くの坂が存在します。
その中でも、もっとも金沢の人々に愛されてきた坂道、それが一つ目にご紹介する、この「暗がり坂」だと言えるでしょう。
名前の通り、昼間でも仄暗いこの坂、「暗闇坂」とも言われてきました。
この坂は、主計町茶屋街と、坂の上にある久保市乙剣宮という神社を結んでいて、かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために使われてきたと言われています。
本当に「人目を避ける」という言葉がしっくりくる、とても狭い坂道で、上から見ると、異世界へ続く不思議な舞台が設えられているかのよう。
久保市乙剣宮の向いは、文豪・泉鏡花の生家のあった場所で、現在は泉鏡花記念館となっていますが、泉鏡花が子どもの頃、この暗がり坂を通って学校に通ったという謂れもあります。
まるで鏡花の作品世界そのもののようなこの坂道、幼い頃からこういう場所で培った感性が、あのおどろおどろしくも幻想的な作品群を生み出したのだろうか、そんなことに思いを馳せてしまいます。
さて、2つ目は、その名も「あかり坂」。この坂は、先述した「暗がり坂」と平行に存在します。
しかし、こちらは、ずっと特に名前のない坂でした。
それが、金沢市民から、土地にゆかりのある作家、五木寛之氏に依頼があり、氏が、作品の中で登場人物に命名させる、という形でこの坂は名付けられました。
あかり坂の登り口に標柱があり、そこに五木寛之氏の言葉が刻まれています。
曰く、「暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意(こころ)でもある」。
「暗がり坂」と比べて燦燦と明るいから「あかり坂」、というわけではなく、「暗い夜の中でも明かりをともすような」と五木氏が述べているように、それはあくまで五木氏の印象としての鏡花の志であり、願いとしての「明るさ」なのだと言えるでしょう。
「あかり坂」のほうも、一日のうち、日が差し込まない時間が長くて薄暗い、森閑とした場所ではあります。しかし、ネーミングのせいでしょうか、こちらの「あかり坂」のほうが「暗がり坂」より、気持ち明るめに感じてしまう人が実際に多いのだとか。
日本には古来より、声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えるのではないかという言霊という言葉があります。もしかして、「あかり坂」と呼ばれるようになってから、ほんとうに明るさが増したのかもしれませんね。
金沢の生んだ文豪・泉鏡花、そしてその志を受け継ぐ現代作家の大御所・五木寛之氏にもちなんでいる二つの坂をご紹介しました。
今回は午前中に撮影した写真を使いましたが、時間帯によっても、まるで別の表情を見せてくれるのが茶屋街です。
同じ日のうちでも、昼下がりや逢魔時、宵の口、そして真夜中、それぞれの雰囲気が楽しめます。もちろん、季節や気候によってもガラリと変化するので、何度でも訪れる楽しみがあります。
ぜひ、表通りと合わせて、これらの坂と一緒に、主計町茶屋街の魅力に触れてみてくださいね。
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