西洋建築だけじゃない、みやぎの明治村〜登米市登米町〜

西洋建築だけじゃない、みやぎの明治村〜登米市登米町〜

更新日:2015/10/21 16:27

宮城県登米(とめ)市登米(とよま)町は、かつて伊達家仙台藩領内にある城下町の一つでした。舟運で栄え、外国の文化が流入すると擬洋風建築が町内に建てられるようになりました。これが現在も残って、登米は“みやぎの明治村”という名で知られるようになって現在に至っています。

今回は、そんな城下町の面影と西洋建築の交わる町、登米(とよま)をご紹介します。

近世の登米が分かる「登米懐古館」

近世の登米が分かる「登米懐古館」
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“みやぎの明治村”のゆえんを知る前にまずは登米の城下町時代を偲ぶことにしましょう。それにふさわしいのが登米懐古館です。

登米城下町のルーツに当たる寺池館跡に立ち(写真)、立地的にもネーミング的にもおあつらえ向き。展示室に入ると、眼前に製作当初の状態をほぼ残した登米伊達家初代・伊達宗直所用である「鉄黒漆塗五枚胴具足」などの具足があり、その右の壁に寺池館の縄張図が貼られています。図によると、複数の曲輪に水堀なども擁したなかなか立派な城だったことが窺えます。

宗直はもともと水沢の領主でした。領地替えがあり、新天地・登米で与えられた任は北上川の改修などの荒れ地開発でした。登米地方はそれまで北上川の氾濫頻発地帯であり、宗直は信玄堤の工法で治水を成功させました。

懐古館そのものは小さいにもかかわらず、展示のラインナップは多岐にわたります。陣羽織から日本刀、日本画、磁器、書簡、硬貨まで。それにもかかわらず、展示品はいずれも歴史的資料として、美術品としての価値を充分に備えている代物たち。小さい資料館も決して侮れません。

武家屋敷でお茶しませんか「春蘭亭」

武家屋敷でお茶しませんか「春蘭亭」
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寺池館跡から大手通りを横切って南に延びる前小路には、威風堂々たる武家屋敷の門を挟みながら白壁が続きます。この通りで唯一内部見学が可能な武家屋敷が春蘭亭です。

門をくぐると、切石敷きの先に茅葺屋根の主屋玄関が口を開けています。玄関先の部屋が下座敷で、そのお隣が上座敷です。下座敷の先に中の間があり、その脇に陰座敷と納戸、奥に土間を備えた茶の間です。

納戸から階段が掛けられており、2階の陽の光の届かない小さな部屋があります。これは使用人部屋や蚕部屋として使われた部屋。ですが、あまりの部屋の隠され具合から、誰かが密談にでも使用したのではないかと想像してしまいそうです。

カフェにもなっており、和菓子とともに、名前にもなっている春蘭のお茶などがいただけ、お土産も販売。ゆったりとくつろぎたくなる空間があります。

白く瀟洒な擬洋風建築「警察資料館」

白く瀟洒な擬洋風建築「警察資料館」
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春蘭亭のある前小路を進むと抜ける通りの中町沿いには警察資料館があります。ここから“みやぎの明治村”らしさが出てきます。

木造2階建ての白い建物で、ポーチが付き、その上にバルコニー、さらにその上に金色の警察紋章を付けたペディメント(破風)が乗っています。土台にはレンガ、壁は下見板張りで、屋根は桟瓦葺き。コロニアル様式のような擬洋風建築で見応えは充分。

内部はパトカー(乗車可能)や制服の展示、署長室や取調室、留置所が再現されており、きっちりと警察について展示しています。当時の警察署の雰囲気が伝わってくるようです。

警察資料館周辺にもレトロな近代建築が見られます。

裁判所としても使用「水沢県庁記念館」

裁判所としても使用「水沢県庁記念館」
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教育資料館の南西、大手通りと前小路の角に立つのは水沢県庁記念館です。廃藩置県で誕生した、宮城県北部と岩手県南部からなる水沢県の県庁として使用された建物の一部を移築したもののために、この名前があります。しかし、水沢県は短命でした。のちに裁判所として使用された歴史の方が長く、展示内容も裁判所としての歴史を多く伝えています。

旧水沢県庁舎の模型や石巻治安裁判所登米出張所と呼ばれた時代の明治22年頃の姿に復元された人民調所は興味深く、冠木門、入母屋造りの屋根を乗せた玄関も堂々とした佇まいです。

登米が誇る学校建築「教育資料館」

登米が誇る学校建築「教育資料館」
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水沢県庁記念館から大手通りを西へ。すぐに見えてくる大きな洋風建築が登米のハイライトと言える教育資料館です。またの名を旧登米高等尋常小学校。国指定重要文化財になります。

築明治21(1888)年で、この時代の学校建築を代表するものにあたります。「コ」の字型の和洋折衷スタイルで並々ならぬ風格を漂わせ、×字型のモチーフが連続する欄干は幾何学的でどこから見てもこれが印象的に映ります。歪んだ窓ガラスにも歴史を感じられ、「洋」が前面に出た中央玄関とその上のバルコニーには、建築家のこだわりが見られます。

展示も面白く、明治初期の教科書や往時を偲ばせる掲示物、戦後の墨ぬり教科書や、この削除内容を記した削除修正表。戦争時の登米を伝える展示や解説、かつて登米を走っていた仙北鉄道の紹介に及びます。建築物としても、資料館としても充実した教育資料館は必見です。

歩けば見えてきます、登米のさまざまな歩み

武家屋敷が残り、立派な近代建築も残されています。小さくも公共施設が多いのは、近世からの町の格の高さによるものです。

また、紹介したもの以外にも、内部見学はできませんがいくつかの武家屋敷が確かに前小路などに見られ、警察資料館のある丁字路から大手通りに向かって歩けば、小さな擬洋風建築がちらほらと見られます。

かつては北上川の氾濫地帯だったため荒れた地でしたが、治水によって人の住めるようになり、城下町として発展しました。舟運でさらに反映し、明治に入ると近代建築が現れ、鉄道が開通します。そして、現在は“みやぎの明治村”。小さな町が歩んできた壮大な物語の追体験は、きっと充実した旅の記憶になることでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。

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