招魂社の原型・霊山護国神社(京都東山)と二年坂・八坂通

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招魂社の原型・霊山護国神社(京都東山)と二年坂・八坂通

招魂社の原型・霊山護国神社(京都東山)と二年坂・八坂通

更新日:2015/11/26 18:49

ナツキのプロフィール写真 ナツキ きのこの文化研究家、博物学者

京都のNo.1の観光のメッカは東山界隈。とりわけ清水寺から八坂神社が中心となります。しかし、その2つの観光スポットにはさまれた東山山麓は、殺し合いに終始する今世紀を生きる人達にとって、訪れる人たちに謎かけをしてやまない神社がひそかに厳と存在しています。それが今回ご紹介する霊山護国神社です。
また、ここから京情緒溢れるお洒落な小道が蜘蛛の囲のように広がっていますので、あわせてご紹介いたしましょう。

神社のNEW WAVEとしてはじまった霊山護国神社

神社のNEW WAVEとしてはじまった霊山護国神社

写真:ナツキ

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わが国を分断した国内戦は、尊皇、佐幕2派の争いからはじまり、尊皇攘夷派、開国派、佐幕攘夷派、開国派とさまざまな勢力がぶつかり合いました。その戦さで命を失った者たちは、いずれも新しい国をつくろうと理想に燃えて立ち上がり志半ばにして倒れた人たちばかりです。
そして遂には天皇を中心とし、近代国家を建設するという錦の御旗を掲げた勢力が勝利し、明治維新政府ができあがりました。

その明治維新を準備した人たちの霊を祀る目的で明治元年、わが国最初の官祭招魂社として明治天皇の勅旨により創立されたのが、この霊山護国神社です。
招魂社はペリー来航以来の国事に殉じた人たちを長州藩が自ら祀っていたものですが、それを一括して合祀し、当地を本山とし、昭和16年現在名に改称しました。いわば神社のニューウェーブです。

現在英霊を祀る神社のセンターとしては、東京の靖国神社と京都の霊山(りょうざん)護国神社の2社がわが国には存在します。そして、全国の護国神社の総本山は、ここではなく靖国神社とされています。

神社参拝を済ませたら、社務所の裏の山中にのぼってみましょう。拝観料が要りますが、坂本龍馬、中岡慎太郎、頼三樹三郎、木戸孝允(きどこういん=桂小五郎)など、時代小説でおなじみの勤皇の志士の面々の墓碑が所狭しと並んでいます。
また、太平洋戦争の戦犯裁判を無効だと訴えたパール博士の像もここには安置されています。

しかし、何か足らないものがあるのも事実です。西郷隆盛の墓はありません。百万都市・大江戸の焼失の危機を救い、わが国の海軍育ての親である勝海舟の墓もありません。長州勢に反旗をひるがえしたからでしょうか。近代国家・日本に協力した外国人戦士の慰霊碑もありません。それは靖国神社とて同じです。

このように、この地は訪れる人たちにささやかな謎をかけてやまないのです。そのためにこそ、是非一度訪ねていただきたい場所です。英霊というものを二度とつくらせないためにはどうすればよいかと思いを巡らせるにも最適の場所だと思います。

京情緒が手軽に味わえる二年坂

京情緒が手軽に味わえる二年坂

写真:ナツキ

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霊山神社の鳥居前より右側(南方向)へ続く坂道は、清水寺からつづく急な石畳の道の先に続く小ぶりな坂道で、その名も二年坂。秀吉の正妻ねねが清水寺へ安産祈願に通った産寧坂(三年坂)の手前にあるので二年坂と名づけられました。

このお洒落な通りには、竹久夢二が大正6年(1917)から2年弱を過ごした寓居跡もあり、京情緒あふれるみやげもの屋さんが立ち並ぶ名所です。霊山護国神社でしばし、瞑想のひとときをもった後はこの坂を散策いたしましょう。今はやりのコスプレ着物美女たちに混じって、本物の舞妓さんたちも行き来する京都の人たちの生活道路であることも伝わってきます。

写真は、霊山(りょうざん)護国神社鳥居前から二年坂方面を撮ったものです。

ひときわ目立つ霊山観音像

ひときわ目立つ霊山観音像

写真:ナツキ

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霊山護国神社鳥居の左側(北方向)には、高台寺塔頭へと「ねねの道」がつづいていますが、その高台寺と霊山護国神社の間に東山を背後にしてそびえたつ高さ24mの白衣観音坐像が、霊山観音です。

二都の護国神社は、大戦末期には夥しい数の戦死者に名簿提出が機能しなくなり、個人名での英霊の祭祀が滞るまでになってしまいました。南洋諸島、シベリア、満州の地では戦後70年を経た今でも遺骨収集が続けられているのですから、それらの霊は未登録のままなのです。

その事実を真摯に受け止め、昭和30年(1955)太平洋戦争で亡くなった二百数十万人の英霊を弔うため、ある篤志家が建立したものがこの観音様です。しかし、戦争の真の犠牲者は、同じ地球上で一日としてやむことなく繰り返されている戦禍のTV報道の映像で一目瞭然だと思いますが、銃後の市民、女性、子供たちです。決して国家の意志を遂行する兵士たちではありません。

この東山の観光のメッカのすぐそばに空漠と広がるこの場所に立つと、国家にとって英霊を祀ることは大切ですが、その英霊と祭り上げられた人たちとその犠牲者たちを祀る場所が等閑視されていることに気づかれることでしょう。それこそが、この一連の謎の唯一無二の答えであるように思えてきます。

京都でもっとも古い寺院と八坂の塔

京都でもっとも古い寺院と八坂の塔

写真:ナツキ

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京都を舞台にしたテレビドラマに必ず登場する八坂の五重の塔は、それが京都の民家が密集するただ中にあり、生活臭ただよう場所であることによっています。京都の人は、普段着のままで寺社仏閣を眺めながら生活していることが実感されるからでしょう。

二年坂、霊山護国神社へとつづく「維新の道」からすぐの、八坂の道にその塔と法観寺はあります。幾たびかの戦火で再建、修造を繰り返し現在にいたっていますが第二層目まで登ることができます(有料)。この二層目から見上げる心柱の迫力は、我が国木造建築の粋。是非ご覧くださいませ。

八坂の塔にはじまる八坂通りのおもしろスポット

八坂の塔にはじまる八坂通りのおもしろスポット

写真:ナツキ

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八坂の塔の門前すぐのところには東京の浅草寺、大阪の四天王寺とならぶ日本三庚申のひとつ八坂庚申堂があります。正しくは大黒山延命院と号する天台宗の寺で金剛寺といいますが、地元の人は親しみをこめて「庚申はん」と呼んでいます。

この庚申堂は、布製の猿の手足をひとつにくくって欲を抑え祈願成就をねがう「くくり猿」を筆頭に、コンニャクを病人の頭の上に吊すと病気が治るという「コンニャク祈祷」、下着に祈祷印を受けて着ていると家族に「しもの世話」の迷惑を掛けないですむという「タレコ封じ」など、ユニークな庶民信仰が息づいており、思わず苦笑してしまいます。境内すみには庚申さん本来のご本尊の青面金剛像もさりげなく置かれていますのでこちらもお忘れなく。

また、八坂通には素敵なお店が軒を連ねていますが、その中でも京ならではユニークなお店が山城屋さんです。京七味をお客様の好みにあわせてブレンドしたうえで量り売りしてくれるのはもちろん、京を代表する味覚の品々を販売しています。

その数軒はなれたところには同じ山城屋さんが経営する京スイーツの店「きなこ屋」さんがあり、若い女性たちに人気のところです。

まとめとして

京都東山は他所から来た人が気軽に京情緒を楽しめる素晴らしいところです。そんな中で時には立ち寄っていだきたい場所を選んでご紹介しています。今回お伝えした場所は、ここを起点にして東山の様々な魅力ある場所へつながっています。
京都の旅のエッセンス。是非、当地から味わってくださいませ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/07 訪問

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