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地図を見る「満足稲荷神社」をご紹介する前に、豊臣秀吉と稲荷神の関係を紐解いていきます。京都の代表的な稲荷神社である「伏見稲荷大社」は応仁の乱でことごとく灰塵と化すなど、長い戦乱の世に巻き込まれていました。その戦乱の世に終止符を打った人物こそ、幼少の頃より出世開運の神である稲荷神を信仰していた豊臣秀吉。
その秀吉は1587年に聚楽第を造営し、邸内に稲荷社を勧請しています。この稲荷社は聚楽第に行幸した後陽成天皇が、立身出世を成し遂げた豊臣秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたとされ、その「出世稲荷神社」は現在も京都大原にあります。
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地図を見るさらに1588年、秀吉は実母・大政所の大病平癒を伏見稲荷大社に祈願し、その願いを叶えてくれたら一万石を寄進するとしたそうです。大掛かりなご祈祷の末、大政所はなんと見事回復!それに喜んだ秀吉は現在もある楼門を造営、さらに本殿などの修復を手掛け伏見稲荷大社の今の原型はこの頃に整ったそうです。秀吉が稲荷神を信仰していなかったらと考えると・・・、改めてその影響力は大きいかと思います。
さて、その後も文禄の役で戦勝祈願した際も連勝が続くなど、秀吉は稲荷神の数々の霊験に大満足!ついには伏見桃山城に伏見稲荷大社の祭神を勧請し、「満足稲荷神社」を建てたほど。現在京都にある「満足稲荷神社」は秀吉が満足したからその名がついたという、嘘みたいな話なのです。
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地図を見るその後豊臣家が滅亡し、時代が江戸時代になると徳川綱吉が「満足稲荷神社」を伏見桃山城から現在地に移したとされています。「満足稲荷神社」は大通り沿いにあり、平安神宮からも徒歩圏内だったりするのですが、それほど知られているわけではないマイナーな神社なのです。
そんな「満足稲荷神社」のご祭神は伏見稲荷神社と同じく倉稲魂命(うがのみたまのみこと)で、開運や商売繁盛に霊験あらたかとされています。立派な社殿は確かにご利益のありそうな気配が漂っています。
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地図を見る「満足稲荷神社」の境内には「岩神さん」という霊石があります。この「岩神さん」をさすり、その手で頭を撫でれば頭が良くなるといわれ、その手で身体の悪い所をさすると治ると伝えられています。せっかく「満足稲荷神社」に参拝したのなら、パワーを持つ霊石を見逃さないようにしましょう!
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地図を見るまた「岩神さん」の足元から生えているご神木のクロガネモチは、樹齢が400年を超えるという、京都市指定保存樹の大木。パッと見た感じもかなりのパワーを秘めたご神木は、良く見ると1本の大幹から8本の幹が枝分かれして生えています。開運、商売繁盛にご利益のある神社に、末広がりの8本に分かれた縁起のいいご神木!これも見逃せません。
いかがでしたでしょうか、豊臣秀吉と稲荷神の密接な関係。今や世界的な観光地となった「伏見稲荷大社」は豊臣秀吉の力によって復興がなされ、現在のような姿になったといっても過言ではありません。そして秀吉の出世にあやかる「出世稲荷神社」、そして秀吉がご利益に満足した「満足稲荷神社」と京都には秀吉ゆかりの稲荷神社がズラリと揃っています。そのご利益を信じた秀吉が天下人となったお稲荷さんを訪ねてみてはどうでしょうか?
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(2024/10/6更新)
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