和歌山県田辺市にある「南方熊楠顕彰館」の左手側に位置するのが博物学者・南方熊楠(1867年〜1941年)が住んでいた旧邸宅の「南方熊楠邸」。和歌山市生まれの南方熊楠は、アメリカ、イギリス留学の後、日本に帰国。那智勝浦でのコケ植物、シダ植物、藻類、菌類などの隠花植物の採集生活を経て、1916年(大正5年)から田辺のこの地に住み、さらに研究や論文の執筆に打ち込みます。
紀伊田辺駅から徒歩で約10分程の距離で、駐車場も完備されているので車の利用者も安心です。また、こちらから徒歩で約5分の“扇ヶ浜公園”に隣接する公共駐車場もあります。
入り口を進むと正面に「南方熊楠顕彰館」のガラス張りのエントランスがあります。顕彰館は入場無料となっていますが、「南方熊楠邸」は観覧料が必要となります。「南方熊楠顕彰館」の受付カウンターで「南方熊楠邸」の観覧料の支払いを済ませてから、植物が両脇に茂っている小道を進んで行きましょう。
入場無料の「南方熊楠顕彰館」を観て回って最後に受付カウンターで次に向かう「南方熊楠邸」の観覧料を支払うというのがオススメの流れです。では、早速、南方熊楠が研究の場所としても活用した旧邸宅へ。
「南方熊楠邸」は、「南方熊楠顕彰館」の建設に合わせて、南方熊楠の存命当時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修する工事に着手し、2006年(平成18)年に工事完了が完了しました。敷地面積は約400坪(1334平方メートル)と広く、大きな楠、柿、蜜柑の木があり、現在でも残されています。南方の名が冠された新種の粘菌“ミナカテラ・ロンフィラ”はこちらの庭の柿の木で発見されました。
明治政府の神社の統合・整理政策である神社合祀(ごうし)により廃された神社跡地の生態環境の破壊、祭礼習俗の消滅を危惧して合祀反対の運動を起こします。現在の自然保護運動、エコロジー思想の先駆者と呼ばれる所以です。
「南方熊楠邸」は、大学や研究機関などに所属せず研究生活を続けた“在野の学者”であった南方熊楠が終生25年間を過ごした場所。
南方熊楠の重要な研究・居住の空間であり、また田辺地方における早期の洋風デザインの住宅例としての価値もあり、2015年(平成27年)に国の登録有形文化財となりました。
母屋は木造二階建てで一部は平屋となっています。外壁の大部分は、焼き杉板の横板張りで、玄関戸が斜板張りの両開き戸であるなどの工法から、紀伊田辺地方の伝統的な民家とは異なる趣向が見所です。
書斎は木造平屋建て瓦葺きの小家屋で8畳1室に東西両側に広縁が設置されています。室内には机や顕微鏡が置かれ、南方熊楠が生活、研究をしていた当時の雰囲気を醸し出しています。
その他に、土蔵や井戸屋形などがあり、庭には多くの植物が育っています。南方熊楠が臨終の床で「天井に紫の花が咲いている」と呟いた、まるで詩のような言葉。紫の花とは、別名オウチとも呼ばれる“センダンの花”と言われています。現在でも庭の一角から、その香りを放っています。
和歌山県田辺市にある「南方熊楠顕彰館」に隣接の「南方熊楠邸」。名前の楠の一字があり愛着を持っていた楠の木、新種の粘菌を発見した柿の木、好んで食べた安藤蜜柑の木、その他多くの植物に囲まれた素敵な場所です。
併設している「南方熊楠顕彰館」、“南方熊楠顕彰碑”のある「扇ヶ浜公園」、その他の紀伊田辺の観光スポットや宿泊施設の情報をまとめた記事へのリンクが下部の関連MEMOにありますので、宜しければ御確認下さい。
以上、南方熊楠を好きな方、自然を愛する方、知的好奇心の旺盛な方を満足させてくれる「南方熊楠邸」の御紹介でした。
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