仙台藩祖・伊達政宗眠る絢爛豪華な霊廟を観る〜瑞鳳殿〜

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仙台藩祖・伊達政宗眠る絢爛豪華な霊廟を観る〜瑞鳳殿〜

仙台藩祖・伊達政宗眠る絢爛豪華な霊廟を観る〜瑞鳳殿〜

更新日:2015/11/02 18:08

小谷 結城のプロフィール写真 小谷 結城 国内旅行業務取扱管理者、京都検定2級、温泉ソムリエ、日本城郭検定2級、国内旅行地理検定2級

仙台市街の南、仙台城跡の東に位置する経ヶ峯という名の丘。この丘を上り詰めたところに仙台が誇る名将であり、仙台藩祖である伊達政宗の霊廟があります。

政宗が死去したのは、寛永13(1636)年。享年70歳でした。江戸の伊達屋敷で亡くなり、棺はここから仙台へ向かって、法事後、政宗の遺言によりこの経ヶ峯に霊廟を建立して石室に納められたのです。今回は政宗の霊廟をご紹介します。

豪華な瑞鳳殿への門「涅槃門」

豪華な瑞鳳殿への門「涅槃門」

写真:小谷 結城

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丘の頂上部に向かって、杉並木の緩やかな石段を登りきったところに瑞鳳殿への入口があります。涅槃門です。

銅板葺きの黒漆塗りで、扉や垂木に施された金の装飾がよく映えていた豪華な門になります。柱間上部や桁の透かし彫りは精緻を極め、蟇股(かえるまた)には青く彩色された麒麟です。麒麟は良い君主が現れると出現すると言われる伝説上の動物であり、建立した2代忠宗が政宗を名君だったと示したかったことが察せられます。

横から見ることのできる破風には最強の守護獣と言える牡丹を背にした唐獅子、麒麟の後ろには瑞雲というめでたいことの起こる前兆を示す雲の装飾も見られます。涅槃門を背に不規則な石段を登ると政宗の霊屋、瑞鳳殿です。

どこまでも派手な桃山建築の霊屋「瑞鳳殿」

どこまでも派手な桃山建築の霊屋「瑞鳳殿」

写真:小谷 結城

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瑞鳳殿は隅棟に龍を這わせた銅板本瓦葺きで、黒漆塗りの宝形造りです。扉は涅槃門同様に金の装飾が華やかで、大きな「竹に雀」が一つずつ、「九曜紋」が二つずつあしらわれています。

扉の左右には、平和が到来したときだけ現れるという鳳凰を上に乗せた華頭窓。長押の上には、それぞれの楽器で音楽を奏でて政宗の死を慰める天女が瑞雲の中を舞い、蟇股にはめでたいことの起こる前兆とされる瑞鳥。木鼻では唐獅子が守護し、植物の文様や蝶をモチーフにした図柄も見られます。

仏経的なモチーフから、龍などの道教的なもの、蝶や牡丹の中国的な取り合わせまで何でも混在させた装飾様式を桃山様式と呼びますが、瑞鳳殿はこれの最たるものと言えるでしょう。派手好きな政宗らしい霊屋に悲愴感は全く感じられません。

瑞鳳殿の両脇には「殉死者供養塔」

瑞鳳殿の両脇には「殉死者供養塔」

写真:小谷 結城

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瑞鳳殿の両脇には、政宗に来世も仕えようと殉死した家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の石塔も並びます。

しかし、武断政治から文治政治へ移行しようとする流れの中、主君を追って死ぬよりも生きてその知恵を生かしてほしいと、徳川家康を筆頭に福岡の黒田如水、会津の保科正之らは生前に殉死を禁じることが主流でした。

殉死者が多いということは慕われた証と言えますが、殉死を義とする考えは、当時すでにマイナーでした。殉死。こうした部分からも、江戸期を迎えても戦国武士としての価値観や武士道観を強く持っていた政宗の片鱗を窺うことができます。

戊辰戦争の仙台藩を垣間見る「弔魂碑」

戊辰戦争の仙台藩を垣間見る「弔魂碑」

写真:小谷 結城

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丘には、弔魂碑という碑が建立されています。戊辰戦争での仙台藩士、旧幕臣や米沢藩の仙台応援隊士らを含む殉難者1260名と民間人の犠牲者を弔うために明治10(1877)年に建立されたものです。

殉難者の内訳(場所)を見ると、会津戦争(会津での戊辰戦争)初戦の地といえる白河口で210名、平潟(北茨城市)に上陸した西軍を迎撃した磐城の戦いの各戦場でも100名以上の戦死者を出したことが分かり、庄内藩と共闘して早く西軍派に与した秋田藩領へ侵攻した際であろう秋田方面でも136名が戦死したことが知れます。

戊辰戦争は、仙台藩領内でこそ武力衝突はありませんでしたが、薩長軍の攻撃の標的となった会津藩を救出すべく、仙台藩も多くの犠牲者を出していたのです。

瑞鳳殿より落ち着いた外観「感仙殿」

瑞鳳殿より落ち着いた外観「感仙殿」

写真:小谷 結城

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弔魂碑を過ぎると瑞鳳殿と同じ建物をした、仙台藩2代藩主・忠宗の霊屋である感仙殿、3代藩主・綱宗の霊屋である善応殿が建てられています。写真は感仙殿です。華頭窓の上や長押には装飾が無く、黒漆塗りの壁が表出して、瑞鳳殿よりもシックな印象を受けます。

政宗を継いだ忠宗は、法治主義と堅実な藩運営で産業振興をはかり、仙台藩の基礎固めをしました。彼もまた、仙台藩の功労者だったのです。

政宗の歴史であり、仙台の歴史でもあり

政宗の眠る瑞鳳殿。生前、政宗が「死後はこの辺に葬られたいものだ」と杖を立てた丘は、2代・3代藩主らも、戊辰戦争の戦死者も眠る場所となりました。残念ながら太平洋戦争の空襲によって霊屋は消失してしまいましたが、伊達家の寄付や市民の再建の機運の高まりによって美しく復元され、現在も大切に守られています。

今やここは、政宗の歴史を物語るだけでなく、仙台の歴史を物語る場所でもあるのです。仙台の歴史、ご堪能下さい。

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