写真:下川 尚子
地図を見るまずは簡単に、一之宮貫前神社の歴史と概要をご紹介します。
一之宮貫前神社の創建は、社伝によると西暦531年。もともと、鷺宮(現在の安中市)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神(ふつぬしのかみ)をお祀りしていたのを、その南方にある現在の社地に社を定めたのがはじまりとされています。
御祭神は、経津主神と姫大神(ひめおおかみ)。経津主神は前述のとおり物部氏の氏神であり、建国の祖神とされます。そして、姫大神に関しては、正確な神名や由緒は伝わっていませんが、この土地の養蚕と機織りの神と言われています。
写真:下川 尚子
地図を見る一之宮貫前神社といえば、有名なのがこの「下り参道」。一般的な神社では本殿へ向けて「上る」形式のものが多いのですが、こちらは本殿の方が低い位置にあり、参拝時は参道を下っていくことになります。
もともと、蓬ヶ丘(よもぎがおか)と呼ばれる丘陵の北斜面・綾女谷(あやめがたに)の谷間に神様をお祀りしていたところ、地形に合わせて参道や門を整えた結果、このような配置となったのだそう。
下り参道は、一部の寺社を除いては数が少なく、全国的にも珍しいもの。ちなみに、他の下り参道を持つ神社としては、宮崎県「鵜戸神宮(うどじんぐう)」、熊本県「草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ)」などがあります。また、有名な「出雲大社」も下り参道で知られています。
写真:下川 尚子
地図を見る参道を下った先には、鮮やかな朱色の「楼門」があります。楼門の背後には拝殿、その奥に本殿があります。楼門を回って、拝殿にて参拝を行いましょう。
本殿、拝殿、楼門、回廊は、寛永12年(1635年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光によって造られました。そして、元禄11年(1698年)には第5代将軍綱吉による大規模な改修が行われ、その後、何度かの修理を経て現在に至っています。
平成21年からはおよそ5年間にわたって「平成の大改修」が行われました。現在は改修を終え、漆を塗り終えたばかりの鮮やかな姿が見られます。ぜひ、ぐるりと一回りしてみてください。この「楼門」「拝殿」「本殿」は国の重要文化財にも指定されています。
写真:下川 尚子
地図を見るこちらは拝殿。その奥に本殿があります。鮮やかな極彩色の漆塗りは華麗で豪華な印象です。
一之宮貫前神社の造営を命じた徳川家光と言えば、日光東照宮の大改修に関わった人物でもあります。こちらの拝殿・本殿に見られる極彩色の華麗な漆塗りは、どこか日光東照宮と共通項を感じる方も多いかもしれません。どちらも江戸時代初期に建てられたものです。
写真:下川 尚子
地図を見るでは最後に、初詣の際の注意点などをまとめておきます。
一之宮貫前神社は、1500年の歴史を持つ、この地域を代表する神社です。年末年始の人出は多く、2015年は3が日で8万人ほどの参拝客で賑わったとのこと。3が日にお参りをする際は、ある程度の混雑は予想しておきましょう。
また、通常は門の周辺に車を停められますが、31日夜〜3日夜にかけては交通規制が行われ、門の周辺は通行止めとなります。近くに駐車場がありますので、そちらへ停めて少し歩きましょう。基本的には閉門することはありませんので、24時間お詣りが可能。ですが、お守りやお札をお求めの方は8時頃から17時頃まで、社務所が開いている時間にどうぞ。
写真は、人気の「無事かえる」。こちらは特に由来のある授与品です。戦時中、一之宮貫前神社の御祭神「経津主神」は武勇に優れた神であることから、多くの参拝客があったそう。そのころ、境内にある樹木にカエルの形をした大きなさるのこしかけができたことから、「勝ちかえる」として、無事に勝って帰ることができるよう、多くの兵士や兵士の家族の方が訪れたのだとか。それが転じて、現在は交通安全のお守りとなり、「無事かえる」として、多くの方が求めています。
以上、一之宮貫前神社の参拝ガイドをご紹介しました。
初詣を終えたら、ぜひ周辺の観光へもお出かけください。3キロほどの場所には、2014年に世界遺産登録をされた富岡製糸場があります。製糸場内部の見学ができるほか、周辺でお土産選びや食べ歩きをするのも楽しいですよ。
ファミリーでお越しの方は、群馬サファリパークへ足を延ばしてみてはいかがでしょう。サファリパークまでは、6キロ程度です。
この記事を書いたナビゲーター
下川 尚子
兵庫県出身。2013年より2年間群馬に住み、現在は横浜在住。趣味は、食べ歩きとスポーツ観戦。小さな夢は、家族で北海道スノーボードに行くこと。そして、老後の目標は、四国八十八か所踏破です。夫が転勤族のた…
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