写真:乾口 達司
地図を見る島根県立古代出雲歴史博物館の開館は2007年3月10日。出雲大社の境内に隣接するように建てられていることからもわかるように、館内には出雲大社にまつわるものも多数展示されています。
たとえば、館内に入ると、来館者をまず出迎えてくれるのが、ご覧の木柱。これはいったい何だと思いますか?実はこれ、2000年に出雲大社本殿前の地中から発見されたかつての本殿の柱です。直径約1.4メートルの木材を3本に束ねたもので、出雲大社本殿が1248年に再建された際のものであると考えられています。現在の本殿でも高さは24メートルにおよびますが、伝承では、古代、その高さは2倍あるいは4倍に達していたとのこと。その真偽は置くとしても、この柱からも出雲大社のスケールの大きさがしのばれるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る館内を奥へと進むと、本殿の屋根を飾っていた千木・勝男木(鰹木)も展示されています(千木はレプリカ)。「X」の形をしているのが千木、それに対して水平にわたされているのが勝男木です。千木の長さは830センチメートル、幅62センチメートル、厚さ24センチメートル、勝男木の長さは545センチメートル、最大径67センチメートルといった規模で、ここからも現在の本殿がいかに巨大か、おわかりいただけるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見るしかし、出雲地方の魅力は何も出雲大社にだけ限りません。ほかの地方では珍しい数々の古代遺跡も、古代出雲世界を象徴するものであるといえます。その代表的な遺跡こそ荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡。荒神谷遺跡からは、1984年から85年にかけて大量の銅剣が発見され、考古学の世界に大きな衝撃を与えました。発見された銅鐸剣の数は358本!もちろん、一カ所から発見された銅剣の数としては日本最多で、現在、そのすべてが国宝に指定されています。
写真はその銅剣を一堂に集めて展示したコーナー。このようにずらりと並べられると、「圧巻」、その一言に尽きますね。
写真:乾口 達司
地図を見る考古学の世界に衝撃を与えた遺跡ということなら、荒神谷遺跡から東に数キロ隔てた山中に位置する加茂岩倉遺跡も同様です。道路建設の際、偶然、発見されたのは、銅鐸39個!こちらも、現在、そのすべてが国宝に指定されていますが、いったい、この銅鐸の何が衝撃であったかというと、銅鐸文化圏である近畿・東海地方、銅剣文化としての九州地方という従来の図式に対して、古代出雲世界が加茂岩倉遺跡に代表される銅鐸文化、荒神谷遺跡に代表される銅剣文化、そのいずれも持ち合わせていることが挙げられます。考古学の世界に衝撃を与え、古代出雲世界の特異性を際立たせる銅鐸群をじっくりご覧ください。
写真:乾口 達司
地図を見る荒神谷遺跡出土の銅剣群、加茂岩倉遺跡出土の銅鐸群、いずれもその実物を間近でご覧いただくと、双方に「×」の刻印が見出せるはず。写真は銅鐸の「鈕」(ちゅう)と呼ばれる吊り手の部分に刻まれた「×」ですが、興味深いのは、全国各地で銅鐸や銅剣が出土しているなかで、この「×」が刻まれた銅鐸・銅剣は荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡からしか出土していないこと。そのことからも荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡のかかわりの深さがうかがえるでしょう。いったい、どのような勢力がこれらを使用していたのでしょうか。「×」を手掛かりとして、ご自身で推理してみて下さい。
古代出雲世界を考える際、島根県立古代出雲歴史博物館がいかに重要な博物館か、おわかりいただけたでしょうか。もちろん、展示物は上で紹介したものに限りません。ぜひ、ご自身で当館を訪れ、出雲大社までふくんだ古代出雲世界の特異性に触れてみて下さい。
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(2024/10/5更新)
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