写真:澁澤 りべか
地図を見るウィーンの中心部から南へ。ベルヴェデーレ宮殿の南、トラムのファザンガッセ駅Fasangasseから少し歩いたところに「ウィーン軍事史博物館」はあります。正面の立派な門に記された“ARSENAL”の文字が示す通り、この建物は元々皇帝フランツ・ヨーゼフ1世時代(19世紀後半)に建造された兵器庫でした。
現在は17世紀の三十年戦争から第二次世界大戦に至るまでの、オーストリアが参加した全ての戦争に関する貴重な資料を展示しています。
写真:澁澤 りべか
地図を見る門をくぐって少し歩くと博物館です。外観も内部も建物自体が芸術的!玄関ホールの様子(写真)をご覧ください。柱を囲むのは、第二次ウィーン包囲でトルコ軍を敗走させたオイゲン公、ナポレオン軍と戦ったラデツキー将軍など、歴戦の勇者ら56人の等身大の大理石像。
中央階段を上がり2階フロアから見学を始めますが、階上の広間はさらに壁も天井も豪華絢爛たる壁画や戦争絵巻で覆い尽くされており、宮殿のようにきらびやか。
1階2階とも、美しいホールをはさむようにして両翼に展示室があります。2階では三十年戦争、対トルコ戦争、ナポレオン戦争などで使われた武器と兵士の制服、有名な皇帝や将軍たちのゆかりの品々が見られます。1階は19世紀後半以降の戦争に関する展示です。
写真:澁澤 りべか
地図を見るいよいよサライェヴォ事件の部屋へ。目玉はもちろんフランツ・フェルディナント大公夫妻が乗っていたあの自動車。かつてNHKで放映された『映像の世紀』で事件の映像を見た方もあるでしょう。車体の右側には弾痕がしっかりと残っています。まさに歴史の証人です。
都市伝説では“呪いの赤いベンツ”などと呼ばれていますが、実際にはベンツ(ドイツ製)ではなくオーストリア製で色は黒です。事件後すぐ所有者のハラッハ伯爵が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献上し、1914〜1944年までこの博物館に展示されていました。
しかし第二次大戦末期に米軍の空爆を受けて博物館の一部が損壊し、車も被害を受けます。博物館と車は修復され1957年から現在の部屋に展示されています。
ですからその後の所有者が次々と謎の死を遂げ・・・ということはありえません。
写真:澁澤 りべか
地図を見る車と同じ部屋に、事件のときに大公が着用してた血の染みた軍服、彼が息を引き取ったときに身を横たえていた長イス、そして暗殺犯プリンツィプらが使用した短銃なども展示されています。
奥に進むと一次大戦当時の大型兵器の数々が登場。380ミリ榴弾砲に複葉機アルバトロスB2、被弾した跡がある回転砲塔、そして塹壕の再現まで。戦場に迷い込んだ気分になる空間です。
写真:澁澤 りべか
地図を見る最後は第二次世界大戦関連です。オーストリアは大戦勃発直前にヒトラーによってドイツに併合されたため、オーストリア人はナチス・ドイツ軍として戦いました。
ここではナチス・ドイツ軍の軽飛行機やジープ、高射砲、現在のヨーロッパで絶対に目にすることがないハーケンクロイツの腕章などが堂々と展示されています。写真右下に見えるのは手作りのクッション。
第二次大戦展示室の一角にある扉から外に出ると、まるで中古車販売店のようにずらずら〜と戦車が並んでいます。1955年以降のオーストリア軍のものを中心に、戦後の西側諸国でよく使われたアメリカのM47パットンなど欧米の様々な戦車を見られます。冬場はこの「タンク・ガーデン」に出られないので戦車ファンの方は是非夏季に訪問してください。
展示品の説明書きはドイツ語ですが、各展示室の入口付近に、その部屋の展示物の概要が各国語で書かれたプリントがあり日本語もありますので、それを読んでから展示物を見ると分かりやすいです。ミュージアムショップではグッズと飲み物を売っています。
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(2024/10/5更新)
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