ご紹介する「高島秋帆旧宅」は、長崎駅前の路面電車から電停「正覚寺下」で下車し、徒歩約5分の場所にあります。邸宅に続く石段を何段も登ると、ご覧の入口に到着。
敷地は、石積みされた塀に囲まれた厳重な造りで、一目見ただけで凄い人物が住んでいたことが伺えます。
ここは、本名「高島四朗太天茂敦(高島秋帆)」(1798年から1866年)が、1838年から約5年間住んでいたところ。旧宅は、父の茂紀が別邸として1806年に建てた、2階建ての茅葺木造の立派な造り。別名「雨声楼(うせいろう)」と呼ばれ、1922年10月12日に国指定史跡になっています。
早速、門をくぐって旧宅を覗いて見ましょう!
門をくぐると、こんな感じの景色が広がっています。探しても探しても、邸宅のような建物は見当たらず、えっ?建物は?と、ここを訪れた誰もがきっと疑問に思うはず。しかし、残念ながら旧宅の建物は無く、広場に似たこの景色がただ広がっているだけ。
わずかながら、左側に見える当時使われていた井戸や、敷地を囲む塀などが見られます。
恐らく、長い年月が経ち建物が風化して壊れてしまったと考えがちなのですが、ここはそんな理由で壊れてしまった訳ではありません。
実は旧宅は、長崎に落とされた原爆の影響を受けて建物が大破してしまったのです。ここは爆心地から直線距離で約5km。離れていても、こんな場所まで被害を及した原爆。この殺風景なこの眺めは、逆に何かを物語っているかのようです。国によって史跡に指定されたのは大正時代。認定されたにも関わらず、建物が無いなんて、ちょっと変わった珍しい史跡なので、一見の価値あり!
こちらは、石倉です。旧宅は、失くなってしまいましたが、奇跡的に石倉は残されています。旧宅は、この向かいのすぐ目の前に建てられていたそうで、土に埋まった建物の土台部分が見られます。この石倉のすぐ後ろは、釜部屋などがあったそうで、かなりの広さのお屋敷だったことが伺えます。
国によって史跡に指定された当時この石倉はあったそうですが、いつ造られたのかは不明のまま。長崎市内では石造りの倉は珍しく、当時の様子が垣間見られる重要なポイントになっているので、お見逃しなく!
「高島秋帆旧宅」は、入場無料で自由に見学できます。長崎の歴史が見られる「長崎さるく 丸山ぶらぶら思案橋コース」になっていて、このコースを歩けば、日本三大花街の丸山などの見所も見られますよ。「さるく」とは、長崎の方言で、まちをぶらぶら歩くなどの意味。
詳しいコースの内容は下記のMEMO【長崎さるく】よりご覧下さい。
高島秋帆は、砲術以外に、兵隊の訓練として器械体操を日本で初めて導入した人物。
「体操の原点がこんなところにあったんだ」なんて考えると、身近に感じてしまいますよね。
高島秋帆について、もっと詳しく知りたい方は、旧宅跡地に説明案内があるので、是非ご覧になって下さいね!
長崎が誇る歴史に名を連ねる凄い人物「高島秋帆旧宅」を是非見てみませんか?
一般的な史跡と違って、何かを考えさせられるような一風変わった史跡です。
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