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写真:万葉 りえ
地図を見る金地院には国宝の絵画や重要文化財の建物、そして特別名勝の庭園などたくさんの文化財がそろっています。
庭や池、そして敷地内にある建物などはグルッと一周して見学できるようになっているので、その順路に沿ってご紹介していきますね。
受付に入ってまず目に入るのが、塗りも立派な唐破風の門。
この寺にはのちに国宝になった門があったそうですが、その門が豊国神社に移築されてしまいます。そして、かわりにやってきたのがこの門。
これは明智光秀が母の菩提のために大徳寺に寄進して建てられていたもの。天下人が定まらない間はどんなことが問題を起こすかわからず、あれこれ駆け引きがあったのでしょう。
光秀の母への気持ちがこもった門。どこか優し気な雰囲気を持っています。
写真:万葉 りえ
地図を見る弁天池を眺め、木々の間の小道を行くと見えてくるのが東照宮。
もとは洛北にあったという金地院をここに移したのが僧であった崇伝。崇伝は室町幕府の幕臣の一族として生まれ、名門の出として将軍家の側近となる将来を持っていた人物でした。しかし、時代は戦国乱世となり、室町幕府は滅亡。それで、出家という道に進んだようです。
かなり有能な方だったようで、出家した後は位の高い寺の住職を次々と努めています。
40歳で家康の招かれて幕政に参加し、外交関係の事務を一切任せられるほど家康の信任も厚い人物でした。
この京都に建てられた東照宮は家康の遺言で建てられており、家康の遺髪と念持仏を祀ってあります。
江戸幕府草創期。幕府の礎を築くために数多の問題を共に戦った家康と崇伝は、戦友ともいえる存在だったのかもしれません。家康と崇伝の結びつきの強さを今に伝える建物ともいえるでしょう。
写真:万葉 りえ
地図を見る少し高い位置にある東照宮から下ってくると、開山堂へ至ります。
ここには崇伝像が奥に置かれていて、後水尾天皇の勅額を掲げています。
左右両側には十六羅漢像もあるのですが、暗いお堂の中は自然光だけなので天気が良くない日には奥まで見えにくいかもしれません。しかし、ここは見るというよりも、静かな堂内を感じてほしいところです。
開山堂から進むと大きな庭園が広がります。
小堀遠州作と伝えられている庭園はいくつもあるのですが、遠州作だという確かな資料が残っているのはこの金地院の庭だけなんです。江戸初期の代表的な枯山水庭園で、鶴と亀と呼ぶ石を配しているので「鶴亀の庭」と呼ばれています。
現在は木々が育って見えなくなっていますが、長方形の大きな平面石は東照宮を拝むためのものなんですよ。
写真:万葉 りえ
地図を見る鶴亀の庭をながめるように建っている大きな建物が方丈。
もとは伏見にあった桃山城の一部。それを、徳川家光より賜ってここへと移築させました。こんな大きな建物が「一部」というのですから、桃山城はどんな大きさだったのかと思いますね。
ここへ来ると、靴を脱いで板の間へと上がり、庭を眺めながらほっとした時間を過ごす方が多いようです。
金地院には、ご紹介した以外にも、狩野派の絵師たちが描いた素晴らしい襖絵や、京都三名席の一つに入る茶室「八窓席」など、日本の美がたくさん詰まっているんですよ。
近くにある南禅寺の塔頭「天授庵」の紅葉が「そうだ 京都、行こう」のCMになったので有名ですが、金地院は、名画、名庭、名建築をそろえた見どころぞろいで、どの季節に訪れても華やかさよりも味わい深い趣で待っていてくれるお寺です。
襖絵と八窓席の茶室は事前の申し込みをしていると拝観できるので、南禅寺を訪れる際は問い合わせてみてくださいね。
戦国時代から江戸幕府が成立していく時代にかけて、歴史に寄り添うようにこの地で形になっていった金地院。歴史上では名前を聞いたことがある様々な人物たちが見たのと同じものを、金地院で見てきませんか。
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