鎌倉の安国論寺は日蓮宗を興した日蓮上人が布教活動の拠点とした松葉ヶ谷御小庵の霊跡です。
本堂の向かいにある御法窟で日蓮上人は日本の安泰と人々の幸せを願い文応元年(1260)に前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆します。しかし、その内容が当時起こっていた地震や疫病、飢餓などは、法然を始めとする念仏教や禅教などの邪教に起因するものとしていたため、反発した人々により庵が襲撃されます。
「松葉ヶ谷の法難」と呼ばれる事件で、日蓮上人は裏山にある「南面窟」に避難して難を逃れています。
安国論寺の境内には日蓮上人が創案した「立正安国論」の碑があります。
立正安国論は浄土宗などを邪教とし、放置すれば世の中に乱れがあるとするもので、これが原因で日蓮は浄土宗側から襲撃を受けています。
日朗上人は日蓮六老僧の一人で、日蓮上人が佐渡へ流罪となった際、土牢に押込となりますが、赦免後、流罪となっていた日蓮を8回訪ねるなど支援してきました。安国論寺は日蓮上人を開基として日朗上人が創建した寺です。
日朗上人が亡くなった際には遺言により、自らが出家した場所でもある安国論寺で荼毘に伏され、荼毘所が残されています。
長勝寺は建長5年(1253)、日蓮に帰依した武将・石井長勝が自邸に法華堂を立て日蓮に寄進したのに始まると伝えられ、日蓮上人が鎌倉に結んだ庵の一つです。
安国論寺から踏切を渡ったところにあるので、ぜひ合わせて訪れましょう。
境内には日蓮上人と四天王の像が建立されています。日蓮上人像は辻説法をしている姿を現したもので、もとは東京の洗足池のほとりにあったものです。作者は上野の西郷隆盛像や皇居外苑にある楠木正成像の作者としても知られる高村光雲です。
境内にある六角堂の中には日蓮上人の遺歯が納められているとつたえられています。
日蓮上人は鎌倉の辻々で説法を行っています。安国論寺にある草庵から毎日通って道行く人々に説いていました。安国論寺周辺や鎌倉駅までの間に「日蓮上人辻説法の地」という碑がいくつも見ることができます。
寺だけでなく、歩きながら碑を見つけてみるのもオススメです。
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(2024/10/15更新)
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