写真:浦賀 太一郎
地図を見る福井市から、えちぜん鉄道でおよそ1時間。
勝山市は全国随一の恐竜の化石の発掘地であります。「九頭竜川」という「崩れ川」と呼ばれ有史以来氾濫を繰り返した暴れ川が中心部を流れてはいますが、山岳を借景にした農村風景が広がる静かな町です。
古くから「竜」と何らかの関係があったようなロマンを感じる町ですが、この勝山市には、恐竜以外にも特筆すべきスポットがあります。
それが、勝山城。世にも珍しい、田んぼの中にぽっかり浮かんでいるようなお城です。
この勝山城の天守閣が、実は日本一背の高い天守閣だというのは、巷ではほとんど知られていない事実なのではないでしょうか。
五層六階の天守閣の高さは天守台の石垣を含め57.80mで、前述のとおり全国第一位。名古屋城が55.51m、大阪城が54.80m、姫路城が48.25mと続きます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る天守閣を支える石垣も高々と積み上げられています。石垣には「城壁龍」という九頭竜川と勝山市で発見される恐竜化石をモチーフにした雌雄9匹の龍のレリーフが城郭を取り囲むように彫刻されています。
石垣にレリーフなんて聞いたこともありません。まさにココダケ!希少な石垣です。
勝山城天守閣は、厳密にいえば「天守閣風建築物」ということになります。これは、歴史上存在していた天守閣でも、復元された天守閣でもなく、現代になって建築された、全く新しい「天守閣」だからです。
世界遺産に登録されている天下の名城・姫路城をモデルにした勝山城は、なんと個人の私財により築城されました。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る江戸時代、勝山藩は小笠原氏により統治されていました。勝山藩は財政難にあえぎ、天守閣築城の夢は幕府の認可を得ていたにもかかわらず叶いませんでした。
勝山城、正確には「勝山城博物館」は、多田清(明治38[1905]年〜平成3[1991]年)という人物が、「勝山市の新たな顔の一つとして故郷に貢献したい」という強い思いから、平成元[1989]年から三年の歳月をかけて築城されました。
江戸時代からの勝山の夢を、たった一人の実業家が私財を投じて叶えたのです。
多田清氏は実業家として財を成し、勝山市に越前大仏、勝山城を建築。勝山市の名誉市民第一号に選ばれています。
勝山城内部の展示品類は撮影禁止ですが、大名武具をはじめ、全国に6点しか無い「川中島合戦図屏風」や、これも全国に8点しか無い「賤ヶ嶽合戦図屏風」など、歴史好きには見逃せない展示品の数々が設置されています。
最上階は展望スペースになっており、勝山の農村風景や市街地が一望できます。山間の小さな町にある、日本一高い天守閣のてっぺんから望む勝山のふるさと風景は、ひたすら美しく、多くは市街地に建つ全国の他の天守閣からの眺望とはまた違った良さが溢れています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るお城への登城が済んだら、隣接の「ラブリー牧場 みるく茶屋」に立ち寄りましょう。
イチオシはバニラ香料も使わない、完全無添加の「ジャージーソフトクリーム」。他にもプリン、ジェラート、シュークリーム等々、店内のほぼ全てが自家製で、無添加・自然食にこだわっています。
写真は限定のプリンパフェ。季節で変わる限定メニューや、気まぐれメニューなんていうのもあるので、店内ショーケースをよく確認し、お気に入りの逸品を探し当てて下さい!
写真:浦賀 太一郎
地図を見る本来の勝山城は、勝山城博物館からおよそ3km。えちぜん鉄道勝山駅から徒歩15分ほどの場所にある、勝山市役所の周辺に存在していましたが、遺構らしい遺構はほとんど残っていません。
昭和の頃までは、天守閣の建つことのなかった天守台が残っていましたが、これも街の開発と共に撤去されてしまいました。
現在は隣接する市民会館に城址碑、郡町の今井家住宅に移築・現存する表門・土蔵が、辛うじて往時をしのべるよすがとなっています。
日本一高い天守閣・勝山城。いかがでしたか。
お城マニアの方は知っていたかもしれませんが、お城マニアでない方も、この機会にぜひ日本一高い勝山城天守閣に登り、勝山のふるさと風景を眺めてみて下さい。
勝山への旅路が、より色鮮やかな思い出になりますよ!
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(2024/9/18更新)
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