和歌山県の北部、大阪と隣接する紀の川市のなだらかな丘陵にあるのが「青洲の里」。医聖と呼ばれた華岡青洲(はなおか せいしゅう、1760年〜1835年)の生誕地であり、住居、病院、医学校を兼ねた“春林軒”のある場所です。
JR和歌山線の名手(なて)駅から徒歩で約20分、また広い駐車場も完備され、車の利用者も安心のアクセス環境が整っています。
華岡青洲は1760年(宝暦10年)に、紀伊国上那賀郡(かみながぐん)名手、現在の和歌山県紀の川市西野山に生まれ育ちます。医師であった父親から医術を学んだ後、京都で漢方医学の古医方(こいほう)や蘭方医学の外科技術を修めます。
この東洋と西洋の医術を組み合わせて、日本の医療の発展に大きな影響を与えたのです。
こちらが“レストラン華”や、お土産品店“ふるさと物産ショップ”、華岡青洲や門人たちの残した資料などを鑑賞できる“展示室”のある「フラワーミュージアム」です。
建築家・黒川紀章(くろかわ きしょう、1934年〜2007年)の設計で、華岡青洲が使用した麻酔薬“通仙散(つうせんさん)”の主成分である植物・蔓陀羅華(まんだらけ)の花をモチーフとして、1999年(平成11年)に竣工しました。
“レストラン華”では地元・紀の川市で収穫した野菜を活かした料理をバイキング形式で楽しめます。また“ふるさと物産ショップ”でも特産の金山寺味噌や紀の川梅干しなどの他に、お菓子や調味料、お酒なども揃っています。
父親・華岡直道(なおみち)も医者であり、幼い頃から怪我や病で苦しむ人々を見ていた青州も、自然と医者の道へと進みます。
京都でさらに医学の知識を学んでいる際、中国・後漢(ごかん、25年〜220年)の時代の名医・華佗(かだ、生没年不詳)が麻酔薬を使って手術を行い、多くの人々の命を救ったという話に出会います。
京都から郷里へと戻ってきてからは、患者の治療と同時に麻酔薬の研究に入っていったのです。
「フラワーミュージアム」から北東へ少し向かうと「華岡家発祥之地」と刻まれた大きな石碑が建立されています。そして、その隣にあるのが住居、病院、医学校を兼ね備えた“春林軒”です。
“春林軒”の中心にあるのが主屋で、患者の控え室、診療や手術を行なった板の間、門下生を教育した客間などがあり、その他、住居部分として奥居間、茶の間、炊事場などが配置されています。
診療や治療と同時に、麻酔薬の研究にも熱心だった華岡青洲。母・於継(おつぎ)と妻・加恵(かえ)の献身的な協力、つまり、人体実験により麻酔薬“通仙散”の完成へと至ったのです。
現在の主屋は1997年(平成9年)に修理復元したもので、その他の建物についても発掘調査や資料等に基づいて復元されています。門下生の部屋、薬の貯蔵室、病室、米倉などが主屋を囲むように建てられています。
1804年(文化元年)の麻酔手術の成功により、華岡青洲の名前は全国に広まり、青州の生存中に、この地で学んだ門人は1033名を数えました。医師として大先輩であり、また『解体新書』で有名な蘭方医・杉田玄白(すぎた げんぱく、1733年〜1817年)から、教えを求める手紙も届きました。
“春林軒”の中では、各所に展示物が並び、加えて音声案内や映像などで、分かりやすく当時の様子や華岡青洲についての功績を紹介しています。
また外傷、あせも、火傷、しもやけ、ひび・あかぎれ・かぶれ、などの皮膚のトラブルに効果がある華岡青洲が公案した“紫雲膏(しうんこう)”が“春林軒”の案内所にて販売されています。お土産の一つとしてもピッタリです。
2016年(平成28年)には、道の駅もオープンした「青州の里」は紀の川市に訪れた際には外せない場所。春には“藤”、夏には“大賀ハス”の花なども咲く、自然溢れる景観もポイントです。広々とした“ふれあい公園”で、のんびり過ごすのもオススメ。
また直ぐ近くには、華岡青洲の墓所や“華岡青洲顕彰記念公園”もあるので、そちらも併せて訪ねてみてはいかがでしょうか。
以上、医聖・華岡青洲を顕彰し、各種の施設が整った「フラワーミュージアム」のある和歌山県紀の川市「青州の里」の御紹介でした。
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索