写真:古都の U助
地図を見る今熊野観音寺は「御寺」と呼ばれる泉湧寺の塔頭の1つです。
そのため、最寄のバス停「泉涌寺道」のある東大路通りから泉涌寺道通りを東へ進むと、泉涌寺の門をくぐって、歩いていくことになります。
そして、この道の途中には即成院、新善光寺など同じく泉涌寺の塔頭寺院が点在しています。
「即成院」は、屋島の合戦の扇の的の逸話で知られる源義経の家臣・那須与一宗高の墓が祀られていて、通常でも朝9時〜夕方5時までお参りすることができます。
「新善光寺」は後嵯峨天皇の御願寺として創建され、応仁の乱の後現在地へ移された信州信濃善光寺本尊と、同体の全銅阿弥陀如来立像を鋳造して本尊を祀っています。
写真:古都の U助
地図を見る今熊野観音寺へ向かう途中のハイライトとも言えるのがこの鳥居橋です。
鳥居橋は、泉涌寺と今熊野観音寺との間に流れる今熊野川に架かる橋で、周囲の光景は現実離れしたような独特の美しさがあります。
今熊野観音寺は西国33ケ所霊場の15番目の札所である他、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場の1番札所、京都泉山七福神のえびす神奉祀の地であるなど多くの信仰の聖地・霊地。街中から少し歩く距離はありますが、鳥居橋まで来ると特にそういった雰囲気が色濃くなってきます。
ここまでバス停から緩やかな坂を歩いて15分前後といったところで、歩く距離はそれなりにあるのですが、橋の周囲の小さな渓谷美が色とりどりに染まる秋の風景は一見の価値があります。
写真:古都の U助
地図を見る今熊野観音寺の起こりは、弘法大師が唐の国から帰国し、天長年間(825年頃)熊野権現のご霊示を受けてこの地に庵を結んだことからとされています。
その後白河法皇に深く信仰され、持病の頭痛が平癒したということから新那智山・今熊野の名を与えられています。
そのため通常は「今熊野観音寺」と呼ばれることが多いのですが、本当の寺名は「観音寺」といいます。
本堂より少し手前に子まもり大師像があり、ここの大師像は特にお顔の優しい表情が特徴的で、周辺は境内でも特に紅葉が美しいポイントの1つです。
写真:古都の U助
地図を見る紅葉が色を添える手水舎も、心洗われるものがあります。
今熊野観音寺には他に本堂や大師堂のそばに五智井、鐘楼の近くに五智水という弘法大師ゆかりの水が沸く場所もあります。
また、赤い欄干の茶所と呼ばれる建物がありますが、高いところからせり出すようにして紅葉を見ることができ、建物の大きな窓ガラスに紅葉が映る姿もまた格別です。
写真:古都の U助
地図を見るここが境内の中心になる場所で、本堂のほか大師堂、ぼけ封じ観音、地蔵堂、五智井、茶所などが建てられていて、色鮮やかな紅葉も楽しむ事ができす。
また本堂より高いところに写る多宝塔は昭和59年建てられた「医聖堂」で、医学に貢献された人物が祀られています。
今熊野の観音様は枕元に立たれる観音様だそうで、また頭に関するご利益があることから授与品として枕カバーが有名です。
バス停「泉涌寺道」から1つ北の停留所に今熊野バス停があります。そこからすぐに今熊野神社があり、こちらはバス道(東大路通り)沿いにあるので熊野信仰に興味のある方でしたらお参りもしやすく一緒に行かれるのもおすすめです。
今熊野観音寺は若干歩きがいがありますが、その分紅葉は素晴らしいので、ぜひお訪ねいただきたいと思います。
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(2023/12/8更新)
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