写真:乾口 達司
地図を見る「金峯山寺(きんぷせんじ)」は桜の名所として名高い吉野山に位置しています。7世紀頃、役小角(役行者)によって開かれたと伝わる金峯山寺は、中世以降、修験道の総本山として絶大な信仰を集めて来ました。その歴史性や修験道にちなんだ文化財の希少価値により、大峰山や和歌山県の高野山、熊野三山、さらにそれらを結ぶ巡礼路とともに、2004年、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されました。
金峯山寺のシンボルといえば、本堂に当たる国宝の蔵王堂。現在の蔵王堂は、天正19年(1592)、豊臣家によって再建されたものですが、奥行・横幅それぞれ36メートル、高さ34メートルと巨大で、木造建造物としては東大寺大仏殿に次ぐ規模を誇ります。
しかし、巨大なのは何も建物だけに限りません。内陣には見上げるほど大きな厨子が置かれ、そのなかには3体からなる御本尊・木造蔵王権現立像が安置されています。その造立は蔵王堂の再建と時期を同じくすると考えられていますが、3体のうち、中央に立つ中尊の像高は何と7メートル28センチ!両脇のものも6メートル近い大きさを誇っており、蔵王権現特有の憤怒の表情が参拝者を圧倒しています。普段は秘仏としてまつられていますが、近年は毎年春と秋にご開帳されているため、金峯山寺には御本尊のご開帳期に訪れることをお勧めします。
※2022年の春期ご開帳期間は3月26日(土)〜5月8日(日)です。
写真:乾口 達司
地図を見るもう一点、蔵王堂で注目していただきたいのは、お堂を構成している数々の木柱。写真は正面を支える木柱を撮影したものですが、部材にはツツジやナシ、チャンチンなどさまざまな樹木が使われており、蔵王堂が木々にかこまれた豊かな自然環境のなかにあることを教えてくれます。しかも、その多くは樹木の彎曲や欠損などをあえて修整せず、自然に近い状態で活用されています。蔵王堂がいかに自然と調和した建造物であるかが、そこからもうかがえるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る国宝の建造物は蔵王堂のほかにもあります。写真は蔵王堂と並ぶ国宝建造物の二王門。入母屋造の二重門で、康正2年(1456)に再建されたことが判明しています。
2021年現在、二王門は修復工事中。工事期間中、仏師・康成によって造られた像高約5メートルの金剛力士立像は奈良市の奈良国立博物館に移され、一般公開されています。
蔵王権現立像のみならずこちらもその大きさに圧倒されること、請け合いです。
写真:乾口 達司
地図を見る二王門の北方、土産物屋などが軒を連ねる参道には、銅製の大きな鳥居が立っています。これが銅鳥居(かねのとりい)。世俗と聖地としての吉野山(金峯山寺)とを分かつ境界と位置づけられている鳥居です。宮島・厳島神社の鳥居、四天王寺の石鳥居と並んで「日本三鳥居」の一つに数えられている上、銅製であるという珍しさもあり、希少価値は抜群。あわせてご覧下さい。
写真:乾口 達司
地図を見るこのような豊かな歴史と信仰が息づく金峯山寺には、古来、さまざまな歴史上の偉人が参詣しています。今回はそのなかでも護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)をとりあげましょう。大塔宮こと護良親王は後醍醐天皇の皇子。鎌倉幕府の打倒を目指す父の理想を実現するため、みずから弓矢を手にとり、幕府軍と激闘を繰り広げました。
金峯山寺を訪れると、蔵王堂の正面に石柵でかこまれた区画があることにお気付きになるでしょう。その内側には4本の桜が植えられていますが、この桜は「四本桜」と呼ばれており、 元弘3年(1333)、幕府軍の攻勢を前にした親王が金峯山寺から落ち延びる前に酒宴を張った場所と伝えられています。「四本桜」を眺めながら、鎌倉幕府の打倒後は父・後醍醐天皇に疎んじられた挙げ句、足利尊氏と対立したために捕縛され、鎌倉で殺害されるといった哀しい末路をたどることになる親王の悲劇にもあわせて思いを馳せてみてください。
金峯山寺の魅力と豊かな歴史性をご理解いただけたでしょうか。吉野山全山が桜で彩られる春はもちろん、紅葉の美しい秋も魅力的。巨大な蔵王堂や蔵王権現立像を拝観するため、金峯山寺に足をお運び下さい。
住所:奈良県吉野郡吉野町吉野山
電話番号:0746-32-8371
アクセス:近鉄吉野駅より徒歩約30分
2022年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2023/12/2更新)
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