まずは、室津について。室津の由来は8世紀に編纂されたとされる『播磨国風土記』から見つけられます。「此の泊 風を防ぐこと室の如し 故に因りて名を為す」と室津のことを記載しているのです。
では、開港はいつなのか。それは、もはや年号では表わせられない神代に遡ります。初代天皇である神武天皇東征の先導役・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと、下鴨神社の祭神としても知られる)が室津に港を創建しました。ここから室津の歴史は始まるのです。
それから漁業や風待ち港として栄え、瀬戸内海を監視できる要所として城も築かれて源平の戦地にもなりました。写真は室津に築かれていた城である室山城跡の付近から町を望んだものです。江戸期には参勤交代をする西国大名の寄港地になり、更なる繁栄を見ました。
近代になり、室津はもとの漁業の町に戻りましたが、竹久夢二、谷崎潤一郎らの文人墨客に愛され、今も美しい景色と趣ある町並みとが多くの旅人を虜にしています。それでは、そんな景色を見てみましょう。
室津港のすぐ近く、かつて廻船業で財を成した商家を資料館にした室津海駅館があります。1階を太めの千本格子に覆われた軒の低い町屋で、玄関を入ると広い土間と帳場。土間の右手に複数の畳敷きの部屋からなる展示部分があり、ここで室津の繁栄の歴史が窺えます。
2階の奥には「一之間」と呼ばれる座敷があり、この座敷の外側に内縁が備わります。写真は内縁の窓からです。この建物は港からすぐの場所に立っており、庭園を眼下に室津港の近景と穏やかな山の連なりが望めます。風光明媚な港町らしい粋な景色です。
室津港への風を防ぐ小さな半島の上には、賀茂神社という古い神社があります。主祭神は上賀茂神社の祭神としても知られる賀茂別雷(かもわけいかづち)大神。そう多くない石段を登り、美しい装飾の施された四脚門をくぐると静謐な境内が現れます。
長く大きな拝殿と、5つが横並びした小さな本殿・脇殿が向かい合わせになった「とび拝殿」という風変わりな配置。平安後期にはすでにこの状態に整えられていたそうです。本殿は小さいながらも風格漂わせる三間社流造りです。然して古そうには見えませんが、国指定重要文化財になります。
境内を抜けると常夜灯があります。信仰の対象であり、かつては海へ繰り出た室津の漁師たちの命の灯。灯台の役割を果たしていました。常夜灯の脇からは瀬戸内海を一望できます。近くに浮かぶ3つの島がよく望め、穏やかな海の果てにうっすらと島影が望めます。なお、この先に半島の先端があります。
半島の先端、木々の間からは室津港の入口を望むことができ、船の往来がよく見えます。「ハ」の字をした防波堤が港の口を狭め、防波堤の先端に赤い灯台。静かな瀬戸内と繋がる湾の奥には、波打つような山の連なりがあり、この海と山の狭間に漁船をはじめとする白色をした人工物が張り付いて穏やかに生を営んでいることが判ります。
町から海に沿って南下すると、海に突き出たところに山部赤人の万葉歌碑が立ちます。
玉藻刈る 辛荷の島に 島廻(しまみ)する
水鳥(う)にしもあれや 家思はざらむ
おすすめはこの歌碑の裏からの眺望。群青の海に総称して唐荷島と呼ばれる3つの島が浮かびます。その先にもまだ島影があるのが瀬戸内海の妙。家島諸島か、小豆島か、四国か。眼下の岩場やそこから生える木々が額縁のような効果を果たしているのも良いです。
歴史もさることながら、景色も美しい室津。山が迫り、海を臨み、海には島々が浮かびます。まさしく山紫水明の景。町をめぐり、お気に入りの眺望を望みながら思い思いの時間を過ごすのもまた一興です。
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(2024/12/14更新)
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