世界遺産にうれしい若返り薬水も!扶余「扶蘇山城」百済の歴史悲劇を山から川から探訪

世界遺産にうれしい若返り薬水も!扶余「扶蘇山城」百済の歴史悲劇を山から川から探訪

更新日:2015/11/10 16:10

猫乃 みいこのプロフィール写真 猫乃 みいこ 非日常体験探求家、旅ブロガー、ライター
「高句麗、百済、新羅」といえば、歴史の教科書に出てきた朝鮮王国の三国時代。扶余は、「百済」最後の王都「泗沘(サビ)」として、26代聖王から31代義慈王の時代まで、123年間(358〜660年)栄えた古都。都からほど近い場所に非常時の逃げ込み城として築いたのが、世界遺産「扶蘇山城」です。百済滅亡の悲劇といわれる「落花石」や、飲むほどに若返る「扶蘇薬水」をご紹介します。

百済最後の都 扶余の山城「扶蘇山城」

百済最後の都 扶余の山城「扶蘇山城」

写真:猫乃 みいこ

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ソウルの南部バスターミナルからバスに揺られること約2時間、自然豊かな扶余に到着します。バスターミナルから徒歩15分ほどの場所にあるのが、「扶蘇山城」。扶蘇山城は、百済の都が扶余に移転した際に、敵に責められた際に逃げ込む城として、標高106mという小高い丘状の場所に建てられました。

写真は、「扶蘇山城」の入口です。こちらで2000ウォンの入場料を支払い、いざ入城です。

美しい東屋「半月楼」

美しい東屋「半月楼」

写真:猫乃 みいこ

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「扶蘇山城」には、美しい東屋がいくつも点在し、展望台の役割を果たしています。写真の「半月楼」からは、扶余の街が一望出来、扶蘇山の一番高い場所に建つ「泗沘楼」からは白馬江が見え、山の一番東峰に建つ「迎日楼」からは昇る太陽が真っ先に見える絶好の場所となっています。

それぞれの楼閣は2階建てで、朝鮮様式の外観や天井には、原色が重なる色鮮やかな装飾が施されています。

百済滅亡の悲劇「落花石」の上に建つ「百花亭」

百済滅亡の悲劇「落花石」の上に建つ「百花亭」

写真:猫乃 みいこ

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豊かな自然の山である「扶蘇山」は、普段は百済の後苑の役割を果たしていましたが、戦時には様相が一変し、百済最後の砦となりました。

写真の「百花亭」は、白馬江を見下ろす「落花石」という断崖絶壁の上に築かれた東屋。唐の国と共に百済を攻めた新羅が、城に近づいてきた時、敵軍から純潔を守ろうとした女官たち3000名が、崖から身を投げたといわれている場所です。女官たちの次々に飛び込む姿が、まるで花がヒラヒラと舞い落ちるようだったことから「落花石」と名付けられました。

「百花亭」は、1929年に女性たちの魂を慰霊するために建てられました。東屋の奥に行ける道があるので、女性たちが飛び降りた高さを実感出来ますよ。

1口飲めば3年若返りの「薬水」がある皐蘭寺(コランサ)

1口飲めば3年若返りの「薬水」がある皐蘭寺(コランサ)

写真:猫乃 みいこ

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山の頂上から石の階段を降りて行くと、皐蘭寺があります。皐蘭寺は、「落花石」から身を投げた女官たちの霊を鎮めるために高麗時代初期に創建されました。寺の後ろの壁には、女性たちが身を投げる様子が描かれています。

こちらでご紹介したいのが、「皐蘭薬水」。寺の奥にある岩の下から湧いた水を飲むと、1口で3年若返るといわれる「薬水」です。かなり下の方に湧いていますが、長い柄杓がありますので、汲んでゴクゴク飲んでみてくださいね。飲めばたちまち若返る、かも?

百済最後の義慈王は、皐蘭薬水以外は飲まなかったことから、「御用水」とも呼ばれています。女官たちは、薬水を汲んだ証拠として、寺の裏に自生する「皐蘭草」という蘭の葉を1枚水に浮かべたそうですよ。

白馬江遊覧船で風情ある船下り

白馬江遊覧船で風情ある船下り

写真:猫乃 みいこ

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皐蘭寺から、また石段を降りると「白馬江遊覧船」の船着き場に到着します。来た道を同じように戻れば入口に戻れますが、入り口から船着き場までは約1時間、登ったり降りたりの山道ですから、こちらからは是非風情ある遊覧船に乗ることをお薦めします。乗船料は、4000ウォン。船は、昔の軍船を模した黄布帆壱船。ゆったりとした流れの大きな川を黄布帆壱船が行き交う様は、東洋画のようです。
船からは、「百花亭」の下にある「落花石」が見え、かなりの高さであることがわかります。

船着き場からクドゥレ公園までは、約10分の船旅です。クドゥレ公園から、皐蘭寺下の船着き場まで往復することも出来ますので、時間のない方や足に自信のない方は往復遊覧船に乗っても良いでしょう。往復乗船料は、6000ウォンです。

「2015韓国観光100選」に選定!

ユネスコの世界文化遺産として知られる「扶蘇山城」が、「2015韓国観光100選」に選ばれました。

韓国国内外から、たくさんの人々が訪れる扶余。日本からは、百済に4万人以上の援軍を送った歴史があり、ゆかりの深い土地です。百済の歴史と文化が香り、土築城壁など百済時代そのままの姿が残る扶蘇山城で、四季折々の美しい景色を楽しみながら、当時の人々に思いを馳せてみませんか?

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/10/29 訪問

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