JR東日本・五能線の“五所川原駅”に併設している津軽鉄道線の“津軽五所川駅”から乗車して六つ目の駅が“金木駅(かなぎえき)”。太宰治が生まれ育った町・金木町です。駅前から続く通りは、ギリシア神話とドイツの詩人・シラー(シルレル)の詩を基にして創作された太宰治の短編小説『走れメロス』に因んで“メロス坂通り”と名前が付けられています。
「太宰治記念館・斜陽館」までは徒歩で約7分程と町並みを眺めながら散歩するのに調度良い距離。“金木駅”では無料レンタサイクル(太宰号)のサービスが4月初旬〜11月中旬までの期間に実施されているので、必要に応じて利用してみて下さい。
太宰治は、1909年(明治42年)、青森県北津軽郡金木町金木朝日山に、父親・津島源右衛門の六男として生まれます。本名は津島修治(つしま しゅうじ)。大地主・地元の名士で、衆議院議員、貴族院議員にもなった父親と曾祖母から使用人までといった三十数人の大家族の中で育ちます。
幼少の頃より学業優秀で県立青森中学校に入学するまで、こちらで生活をしていました。中学時代から文学に目覚め、弘前高等学校卒業後、東京帝国大学仏文科に入学。政治運動に従事しますが後に再び文学に打ち込み、1933年(昭和8年)に「列車」を『東奥日報』の日曜付録『サンデー東奥』に初めて太宰治の筆名で発表します。
「太宰治記念館・斜陽館」は1907年(明治40年)に津島家六代の源右衛門が当時、経営中の金融業の店舗を兼ねた住宅として日本三大美林のヒバ(檜葉)を用いて建設された入母屋造りの建物です。一階に11室、二階に8室といった構造で、延床面積は約1300平方メートル(約394坪)。さらに付属する建物や庭園なども含めると約2248平方メートル(約680坪)にもなります。つまり、簡単に言うと“大豪邸”です。
後に角田唯五郎氏が購入して、1950年(昭和25年)に旅館「斜陽館」として使用されます。1996年(平成8年)に旧金木町が買い取り、復元修理工事を経て1998年(平成10年)に「太宰治記念館・斜陽館」として開館。2004年(平成16年)には国の重要文化財に指定されました。
「太宰治記念館・斜陽館」に入ると広がるのは奥まで続く土間。右手側には休憩室も完備されています。さらに奥ヘ進むと“中の蔵”と“米蔵”。吹き抜けとなっている板の間から上がって木造建築を足の裏で体感しながら、じっくり見て回ってみて下さい。
“文庫蔵展示室”では、二重廻しや羽織袴を始め、初版本や原稿など約600点の資料が展示されています。二階には和室6室に控室と洋間が各1室ずつ設えてあります。数多くの和室の中にあり、特に目を引くのは洋間。カーテンや絨毯、テーブルや椅子といった調度品も見応えタップリです。
「太宰治記念館・斜陽館」の館内では、職員の方による巡回説明も実施されているので是非、利用してみて下さい。閉館時間は時期により5月〜10月は18:00、11月〜4月は17:00までとなっています。夕闇に映える「太宰治記念館・斜陽館」は昼間とはまた異なった情緒溢れる佇まいでオススメです。
その他、津島家の家紋“鶴丸”の入ったTシャツなど、オリジナルグッズやお土産も販売もされているので要チェックです。また「太宰治記念館・斜陽館」の前にある金木観光物産館「マディニー」でも太宰治グッズなど購入出来るので、そちらも御確認下さい。
青森県五所川原市「太宰治記念館・斜陽館」の周りには先述した金木観光物産館「マディニー」の他に「津軽三味線会館」もあり、観光スポットとして最適の場所です。もちろん、“メロス坂通り”の「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」、「太宰思い出の広場」、「明治高等小学校之跡」、銅像と文学碑のある「芦野公園」と太宰治に関連する場所が密集しています。
お笑いコンビ・サンドウィッチマンの二人が出演している2016年3月に開通の北海道新幹線のCMでもピックアップされた「太宰治記念館・斜陽館」。是非、太宰治の『津軽』を読んでから訪れてみて下さい。それでは太宰治の言葉でお別れです。
“元気で行かう、絶望するな。では、失敬”
以上、青森県五所川原市「太宰治記念館・斜陽館」の御紹介でした。
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(2025/1/17更新)
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