写真:沢木 慎太郎
地図を見る「ベトナム軍事歴史博物館」に入って、まず目にするのはご覧のジェット戦闘機。“ミグ21”と呼ばれる戦闘機で、ソ連(ソビエト連邦)が開発したものです。
なぜ、ソ連製の戦闘機が展示されているかというと、ベトナム戦争というのは、1960〜70年代のベトナムを舞台に、アメリカ合衆国を中心とする資本主義諸国と、ソビエト連邦(ロシア)を中心とする共産主義諸国が対立した戦争だったため。
ベトナムは、アメリカとソ連による代理戦争の犠牲となり、枯葉剤といった凶悪な兵器を使用され、日本の原爆と同じように今も多くの人々がその後遺症に苦しんでいます。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る続いてのご紹介は、フラッグタワー。さきほどのミグ21戦闘機の後方にも見えていましたが、ベトナムの国旗を掲げる“国旗掲揚塔”のことです。
この施設は19世紀初頭にハノイを防衛するために造られた城塞の一部ですが、古びたレンガ積みの塔はまるで刑務所の見張り台のように不気味で厳か。
フラッグタワーは途中まで登ることができ、なかなか眺望がいい。ベトナム軍事歴史博物館の敷地だけでなく、ユネスコの世界遺産に登録されたタンロン王城遺跡も眺めることができます。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこちらは、さきほどのフラッグタワーから敷地内を眺めた風景。広い中庭には多くの戦闘機や戦車、大砲がずらりと並んでいます。軍用ヘリも展示され、操縦席に乗り込むことも可能。ヘリの操縦席の後方には機関銃が今も装備され、当時の生々しい戦争の模様を体験することができます。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るそして、展示資料の最大の見せ場が、こちらの戦車。実はこれはベトナム戦争を終結させた象徴となる大事な戦車なのです。
ベトナム戦争をめぐっては世界各国で反戦運動が起こり、アメリカ軍はついにベトナムから撤退。しかし、ベトナムでは内線が続き、指導者のホー・チ・ミンが率いる北ベトナム側が、アメリカ側の支援を受けていた南ベトナムの拠点サイゴン(ホーチミン)に進出し、分断されていた南北のベトナムを統一。現在のベトナム社会主義共和国を誕生させるきっかけとなりました。
つまり、サイゴンの陥落(ベトナム側はサイゴン解放)がベトナム戦争を終わらせ、新しい国家をつくることになったのですが、その先陣を切ったのがホーチミンの拠点施設へ勇敢に突入したこの戦車。だから、ベトナムの人々にとってこの戦車はものすごく大切な存在なのです。
自由に写真を撮ることはできますが、手で触るとものすごく怒られるので注意しましょう。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るそして、最後のご紹介がこちらのオブジェ。中庭に並べられた戦闘機や戦車に混じって、ひときわ異彩を放つモニュメントです。
ベトナム戦争で残骸となった戦闘機の翼や尾翼、エンジンなどを積み上げたものですが、巨大ながれきの山に圧倒。戦争というもの、人間というもの、その在り方を無言のうちに物語っています。
がれきの正面には、撃墜したアメリカ軍戦闘機の翼を引っ張るベトナムの女性兵士の写真が強く印象的。髪の長い女性が銃を背に持ち、足を踏ん張っている姿は、自由を勝ち取るために戦ったベトナムの長く苦しい戦争を今に伝え続けています。
粗末な武器を手に、多くの女性たちも兵士として参加したベトナム戦争。ベトナムは、人類史上で最強の大国・アメリカを破った唯一の国であり、その独立精神はすさまじく、日本には到底及ばない力が秘められています。
ちょっと重たい話になりましたが、「自由って何だろう」「生きるとは」といったことも考えさせられるので、戦争や軍事にご興味のない方にも、「ベトナム軍事歴史博物館」はおススメ。ハノイへの観光の合間に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
この記事を書いたナビゲーター
沢木 慎太郎
恋愛小説「星の流れに 風のなかに 宇宙の掌に」(※澤 慎一の名前で制作)が電子書籍化され、作家デビューしました。紀行小説「深夜恋愛特急」も、私のひそかなブーム。
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