写真:沢木 慎太郎
地図を見るベトナムの首都、ハノイにある「ホアロー収容所」(Hoa Lo Prison)。19世紀末に、ベトナムを統治していたフランスが、抵抗するベトナム人を収容するために建設した監獄(捕虜収容所)です。
実際に捕虜収容所として使われていた一部の施設を、戦争博物館として公開。拷問に使った道具や、当時のようすを描いたレリーフなどが展示されています。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る写真が「ホアロー収容所」の入り口。美しい黄色のデザインの建物は明るく、まるでオシャレなレストランのよう。しかし、高い壁は、囚人たちを逃がさないために造られたもの。壁の内側には、不気味な静けさが漂っています。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る入場券を買って、「ホアロー収容所」に入ると、空気がガラリと変わります。独房や集団房(写真)が当時のまま残り、囚人たちのうめき、苦しみがこもっています。
フランスが敗戦した後、ベトナムはアメリカとの戦争に巻き込まれます。「ホアロー収容所」は、北ベトナム軍がアメリカ兵士を収容する施設としても使用。アメリカ映画「ハノイ・ヒルトン」(THE Hanoi Hilton)で描かれているほか、アメリカのニュース放送局CNNから「東南アジアで最も怖い観光スポット」として選ばれています。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る「ホアロー収容所」は、最も多い時で約2000人が収容されていました。こちらは、独房のようす。薄暗い中に、鉄の扉が見えます。扉の内側では、捕虜となった人が両足を鉄の板にはさまれ、まったく身動きできない状態にされていました。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る「ホアロー収容所」では、拷問に使った器具などが展示されています。写真の鉄の棒は、「足かせ」。足用の手錠です。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る独房を取り囲むレンガ壁の一部は、戦争博物館としてガラス仕様になっています。そこでは、捕虜となった人々がどのような拷問を受けていたのか、リアルな人形を使って細かく再現されています。
さきほどの「足かせ」は、このように使われていました。「囚人」たちは光が差し込まない部屋に閉じ込められ、顔や手足は水ぶくれになり、激しい皮膚炎。苦しみながら亡くなった方も多いです。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るもっとショックなのは、実際に使われたギロチン。フランス軍に抵抗するベトナム人が捕らえられ、このギロチンによって処刑されました。鋭くとがった巨大な歯。その下には、切り落とされた首を受ける箱。
その隣には、このギロチンではねられた首の写真パネルが展示されています。ギロチンはフランス革命で初めて使われましたが、ベトナムを占領したフランス軍は、ベトナム人を処刑する時もギロチンを使用していました。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこちらは「ホアロー収容所」を取り囲む壁に刻まれたレリーフ。戦争の悲しみが感じられます。
広島・長崎の「原爆資料館(平和記念資料館)」。ナチス・ドイツによる「アウシュビッツ強制収容所」。日本軍が中国で細菌実験に使っていた「731部隊の施設」。ハワイの真珠湾にある慰霊施設「アリゾナ記念館」を思い浮かべる方も多いことでしょう。
写真:沢木 慎太郎
地図を見る「ホアロー収容所」では、男性だけでなく、女性や子供たちも捕らえられ、集団房に入れられていました。女性が瀕死の男性を介抱し、その姿をなすすべもなく見つめている人々のようすも再現されています。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこちらも実際に捕虜収容所として使われていた建物の一部。集団房だった場所ですが、今は戦争博物館として、当時の写真パネルや資料が展示されています。中央に大きな鉄の扉がありますが、これは内側にある集団房を閉じ込めるための扉。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るさきほどの鉄の扉の内側にある部屋がこちらです。集団房。大勢の人たちが、鉄の足かせをはめられ、家畜以下の扱いを受けています。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこの集団房も、リアルな人形によって細かく再現されています。嘆き悲しむ者。その者を慰め、励ます者。静かに本を読んでいる者。なごやかに談笑している者。ただ茫然と目を見開いている者。再現された人形が、まるで生きている人間のように感じられ、胸に迫るものがあります。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこちらも、当時のようすを再現した人形。陽が差し込まない、棺桶のような狭い部屋に閉じ込められています。女性や子供も、足かせだけでなく、首にも固定版をはめられ、ひどい扱いを受けていました。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこちらは、実際のようす。このように足かせだけでなく、首にも固定版をはめられ、まったく身動きが取れないように虐待されています。しかしながら、彼らの目には力があり、鋭く強く、静かに見つめ返しています。
写真:沢木 慎太郎
地図を見るこちらの人形では、フランス軍から拷問を受け、こぶしを挙げて抗議するベトナム人の姿が描かれています。
本文では、ギロチンをご紹介しましたが、刑が執行される前に、あるベトナム人はこう叫びました。「国を奪われた私たち。侵略者のあなた方。生死を賭けた戦いにおいては、最後に私たちが必ず勝利するだろう」
ベトナムはその後、欧米列強から自由と独立を勝ち取っていきます。
日本はアメリカと「日米安全保障条約」を結んでいます。このため、ベトナム戦争では、東京の横田や沖縄の米軍基地から、数多くのアメリカ軍爆撃機が飛び立ち、ベトナムに爆弾の雨を降らせました。
日本の産業界はアメリカ軍にとって必要な物資を生産し、“ベトナム特需”で潤いました。日本もアメリカに協力したベトナム戦争。楽しい観光旅行だけでなく、ベトナムの悲しい戦争の歴史も見つめてみてはいかがでしょうか?
なお、ベトナム・ハノイの観光スポットについては別途、記事にまとめていますので、ご興味のある方は関連MEMOに貼り付けたリンクからのぞいてみて下さい。
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(2025/2/7更新)
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