古代天皇の謎に迫る?応神天皇を祭神とする大阪・誉田八幡宮

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古代天皇の謎に迫る?応神天皇を祭神とする大阪・誉田八幡宮

古代天皇の謎に迫る?応神天皇を祭神とする大阪・誉田八幡宮

更新日:2015/11/13 11:55

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員

大阪府羽曳野市の応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)は、堺市の仁徳天皇陵古墳(大山古墳)に次いで、全国で2番目に巨大な前方後円墳。その応神天皇と深いかかわりを持つ神社が、応神天皇陵古墳の脇に鎮座しています。誉田八幡宮です。今回は応神天皇とのかかわりを中心として、誉田八幡宮がたたえる豊かな歴史をご紹介しましょう。

応神天皇や豊臣家・徳川家とかかわりを持つ拝殿

応神天皇や豊臣家・徳川家とかかわりを持つ拝殿

写真:乾口 達司

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応神天皇陵古墳に隣接するように立つ誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、応神天皇(おうじんてんのう)を主な祭神とする神社。応神天皇の諱(いみな)が「誉田別尊」(ほんだわけのみこと)であることからも、誉田八幡宮が応神天皇と深いかかわりを持っていることがうかがえるでしょう。

写真は本殿前に建てられている拝殿。入母屋造・本瓦葺で、中央間口が11間もある横長の建物です。現在の拝殿は、慶長11年(1606)、豊臣秀頼の命によって建てられたもの。建設途中、大坂の陣で豊臣家が滅亡したため、徳川家が豊臣家に代わって工事を続け、完成させました。特徴としては、天井に板が張られていないため、豪壮な天井の木組を直接見ることが出来ることが挙げられます。社務所に声をかけると、気軽に見せていただけるため、当社参拝の折にはご覧下さい。

応神天皇陵古墳に対する祭祀の名残をとどめる太鼓橋

応神天皇陵古墳に対する祭祀の名残をとどめる太鼓橋

写真:乾口 達司

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誉田八幡宮の創建は、6世紀、欽明天皇の時代と伝えられています。その創建当初から応神天皇陵古墳に対する祭祀を目的として建てられたと考えられており、数多くの古墳が点在する当地にあって、応神天皇陵古墳が特別な古墳とみなされていたことがうかがえます。その歴史的経緯は、被葬者の特定がきわめて困難な多くの古代の天皇陵にあって、応神天皇に比定される人物が応神天皇陵古墳に埋葬されているとする有力な根拠の一つともなっています。

興味深いのは、その祭祀の名残がいまでも見られること。毎年9月におこなわれる大祭には、お神輿が写真にある境内の太鼓橋を渡り、普段は立ち入りが禁止されている応神天皇陵古墳のすぐそばまで運ばれます。近代以前には墳丘を登り、後円部の頂上に設けられていたお堂までお渡りしていたとのこと。祭礼の様子は一般にも公開されているため、祭礼の日にあわせて参拝するのも一計でしょう。

朝鮮半島から渡来?謎を秘めた摂社・当宗神社

朝鮮半島から渡来?謎を秘めた摂社・当宗神社

写真:乾口 達司

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本殿前から太鼓橋にいたる参道には、幾つかの摂社が並んでいます。なかでも、注目したいのは、写真の当宗神社(まさむねじんじゃ)。現在の祭神は素戔嗚命 (すさのおのみこと)ですが、創建当初は当宗忌寸(まさむねのいみき)の祖神である「山陽公」をまつっていました。

「山陽公」は、古代、朝鮮半島に存在した楽浪郡からの渡来神であったとのことですが、母親である神功皇后が朝鮮半島に出陣していた折、お腹のなかにあったこと、帰国後、九州で生まれていること、出生後は母親とともに畿内へと侵攻し、畿内の抵抗勢力を駆逐したことなど、『古事記』や『日本書紀』に記された数々のエピソードを踏まえると、応神天皇自身が朝鮮半島から渡来し、先の王権を凌駕して新たな王権を打ち立てた始祖王であったということまで連想出来ます。

事実、応神天皇の存在した可能性が想定される4世紀後半あたりから、日本(倭)には朝鮮半島からのモノや人やたくさん流入して来ます。その意味で、当宗神社は応神天皇と大陸との強い結びつきを「山陽公」によって象徴した社であるといえるかも知れません。謎を秘めた当宗神社にもあわせて参拝し、応神天皇渡来説を高札してみてはいかがでしょうか。

境内で合戦?古戦場ともなった境内

境内で合戦?古戦場ともなった境内

写真:乾口 達司

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応神天皇との結びつきが認められる誉田八幡宮は、中世になると、地政学上の重要性からしばしば諸勢力が激突する舞台ともなりました。境内にはそのことを示した写真の石碑も建てられていますが、代表的な合戦としては、正平年間におこなわれた北朝方の細川氏と南朝方の楠木正行、享徳年間の畠山政長と畠山義就によるものなどが挙げられます。これも誉田八幡宮の意外な歴史といえるでしょう。

お産を間近に控えた方は必見!境内にある安産社

お産を間近に控えた方は必見!境内にある安産社

写真:乾口 達司

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写真は境内にある安産社。ご覧のように、社の脇には槐(えんじゅ)の大木が生えています。なぜ、槐の木であるかというと、神功皇后が応神天皇を出産する際、産殿の柱を槐で造らせたという故事にちなんでいます。当社の槐は、後世、後冷泉天皇の皇后の出産時にも霊験があったとされているため、出産を間近に控えた方は当社に安産をお祈りしてみてはいかがでしょうか。

おわりに

誉田八幡宮と応神天皇とのかかわり、あるいはその豊かな歴史性をおわかりいただけたでしょうか。周辺地域は古市古墳群と呼ばれる古墳のメッカでもあり、古代史好きにはぜひ訪れていただきたいところ。誉田八幡宮に参拝し、応神天皇を中心とした古代史に思いをめぐらせてみて下さい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/12/07 訪問

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