お庭や八ッ橋資料室見学も!元財界人の邸宅「西尾八ッ橋の里」

お庭や八ッ橋資料室見学も!元財界人の邸宅「西尾八ッ橋の里」

更新日:2023/08/25 11:42

古都の U助のプロフィール写真 古都の U助 ブロガー
「八ッ橋」といえば押しも押されもせぬ京土産、京都を代表する和菓子です。
現在たくさんの企業によって製造されていますが、特に歴史があるとされている会社の1つが「西尾八ッ橋」です。
その「西尾八ッ橋本店」のすぐお隣には2013年オープンの「西尾八ッ橋の里」があり、お庭と邸宅が自慢のお食事処となっています。四季折々に美しいそのお庭とお部屋の様子を紹介します。

老舗八ツ橋店舗「西尾八ッ橋」&「聖護院八ツ橋」

老舗八ツ橋店舗「西尾八ッ橋」&「聖護院八ツ橋」

写真:古都の U助

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写真では右側の犬矢来に囲まれ肌色の壁が続くのが今回ご紹介する「西尾八ッ橋の里」です。

その奥(写真左奥)には大きな信楽焼きの狸が目印の「西尾八ッ橋本店」があり、さらに写真左側に写るのは「聖護院八ツ橋本店」です。

八ツ橋製造で特に歴史が古いとされている「西尾八ッ橋」と「聖護院八ツ橋」ですが、ともに丸太町通りの1本北側の春日北通りに入り込んだ所に本店があり、細い通りに老舗の店舗が並ぶ光景はなかなかの迫力とインパクトです。

ちなみに両社とも徒歩ですぐの東山丸太町の交差点付近に「熊野店」があり、それぞれ立派な店構えで、お菓子の種類も豊富に揃っています。

もと財界人の趣きある邸宅

もと財界人の趣きある邸宅

写真:古都の U助

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西尾八ッ橋本店の東隣りにある西尾八ッ橋の里はもともと東洋レーヨンなどの要職を歴任した財界人であり、立命館大学の前身とされる京都法政学校の設立に尽力した河原林樫一郎氏の邸宅として建てられたものです。

2012年に「京都市民が選ぶ京都の財産として残したい京都を彩る建物や庭園」にも選ばれ、本家西尾八ッ橋が購入、改修し、2013年11月に西尾八ッ橋の里としてオープンしています。

さすが財界人の邸宅、通りに面した姿や玄関のたたずまいも趣があり、お食事もお高いんじゃないの?と思ってしまいそうですが、メニューには千円以下のお品が色々とあり、手軽に料亭のような雰囲気の建築やお庭を楽しめます。

お庭を眺めながらお茶や食事を

お庭を眺めながらお茶や食事を

写真:古都の U助

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西尾八ッ橋の里のお部屋はどの部屋も素敵で、お庭を眺めながらお食事できるのが自慢です。

温かいおそばやうどんが850円からあり、暖かい時期なら冷たい麺類もお手頃でおすすめです。

うどんはいわゆる京風の軟らかいうどん。
そしてお膳にはしっかり八ッ橋がついてくるのも嬉しいです。
お食事の他おしるこやお抹茶と白餅などの甘いものなどもメニューに並びます。

八ッ橋資料室も

八ッ橋資料室も

写真:古都の U助

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邸宅内の洋室には八ッ橋資料室が設けられています。
資料室では元禄二年(1689年)の創業から現在に至るまでの西尾八ッ橋の歴史が数々の貴重な資料とともに紹介されていて、お食事・休憩の後、お庭の散策とともに自由に見学していただく事ができます。

資料室には明治から昭和初期にかけパリ万博はじめ世界の万国博に出品し、数々の賞を受賞した際の賞状、八ッ橋発祥の地ともされる京都・熊野神社に奉納された立派な絵馬などが展示されています。

かきつばたの池

かきつばたの池

写真:古都の U助

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西尾八ッ橋の里の自慢のお庭は四季折々に美しく、西尾八ッ橋の里がオープンする際整備されたかきつばたの池も見逃せません。

八ッ橋のお菓子の起源について、一説には平安時代に成立した歌物語の「伊勢物語」第9段に登場する三河の国の八橋に架かる橋を模した、という話がいわれていて、お庭の池にその橋が再現されています。
三河の国・八橋はかきつばたの花の名所であったことからかきつばたの文字にちなんだ歌が詠まれ、お庭の池にも初夏になるとかきつばたの花が咲き誇ります。

そして三河の国の八橋の図案・デザインは、昔から各社の八ッ橋製品のパッケージにも取り上げられています。

ちなみに八ッ橋のお菓子の由来についてはもう1つ、箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模して作られた、という話も有力な説とされています。

その他に

通常の営業時間は11時から16時、メニューには麺類の他、西尾八ッ橋の里膳などもあります。

近くの熊野神社には八ッ橋発祥の地の石碑や西尾為治氏の銅像などもあります。ぜひ一度お訪ね下さい。

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/11/14 訪問

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