西芳寺は天平年間(729〜749)創建の古刹です。しかし、建武年間(1334〜36)の兵火によって荒廃。これが暦応2(1339)年に夢窓疎石によって復興されました。庭園も同じく疎石によって作庭されました。
西芳寺の庭園は一面が苔で覆われた池泉庭です。復元された庭園を除くと最古級の庭園にあたり、稀少な存在なのです。本堂南東に広がる苔で有名な池泉回遊式庭園と、山腹の枯山水庭の上下二段構成になっており、金閣寺庭園や銀閣寺庭園は西芳寺庭園を模して造られました。
いにしえより、多くの人々を魅了し続けてきた西方浄土を示す西芳寺庭園。苔の織りなす豊穣の世界は、必ずや訪れた人々を満足させることでしょう。
なお、苔の保護もあって観光拝観はできません。往復はがきで事前申し込みを行い、読経や写経の宗教行事の後に庭園参観となります。写経体験ができるのも西芳寺ならではです。
西芳寺より少し南に下ったところには、孟宗竹に囲まれた地蔵院があります。疎石の高弟に帰依した人物で、足利幕府を支えた細川頼之による建立です。ここに祀られている地蔵菩薩が小僧になって疎石の行う西芳寺庭園の作庭を手伝った、というエピソードも伝わります。
自然石を十六羅漢に見立てた方丈の平庭式枯山水庭園や、細川護熙元首相筆の襖絵である瀟湘八景図なども見どころです。
西芳寺の北、一年中鈴虫の鳴くことで知られる華厳寺があります。本尊は大日如来ですが、篤く信仰されるのは山門横に立つ、草鞋を履いた幸福地蔵。幸福お守りを両手で挟み、名前と住所を告げて祈ると1つだけ願い事を叶えてくれると言われています。
行列するのは鈴虫説法。鈴虫の音色とともに“鈴虫寺”と呼ばれるようになった所以や、幸福地蔵のお参りの仕方などを楽しく聞くことができます。
国生みをした伊耶那岐(いざなき)神と伊耶那美(いざなみ)神。このうちの伊耶那岐神が禊(みそぎ)をしたことで生まれたのが、神々の中でも最も尊い存在とされた天照大御神、建速須佐之男(たけはやすさのお)命、そして月読(つくよみ)命です。この月読命が祀られているのがこの月読神社になります。
古代より天文・暦数・卜占・航海の神として朝廷にまで崇敬されてきました。江戸期より松尾大社の摂社になってしまいましたが、1世紀以上にわたって積み重なった人々の願いが確かにこの地に込められているのです。静かに佇む古社ではありますが、そんなことを想像できる稀な場所と言えるでしょう。
松尾で最も有名な神社といえば、松尾大社です。古来より松尾山の磐座(いわくら、岩のご神体)が信仰されてきましたが、渡来人で松尾の開拓も行った秦氏が大宝元(701)年、この地に社殿を建立しました。
平安遷都以降、上賀茂神社、下鴨神社と並ぶ王城鎮守の神となり、室町期より境内の「亀の井」の水で造られた酒が腐らないなどの逸話から酒造の神としても知られるようになりました。全国の酒造元から奉納された数多くの酒樽も見ることができます。
祭神は大山咋(おおやまぐい)神と市杵島姫(いちきしまひめ)命で、本殿は同じく市杵島姫命を祀る宗像大社、厳島神社と同じ松尾造り(両流造り)。稀少な社殿形式です。昭和を代表する作庭家・重森三玲による庭園、神像館、お酒の資料館も見ものです。
永く濃密な歴史の刻まれた洛西松尾。華厳寺は行列が絶えませんが、松尾地域全体を見れば、比較的人の訪れは少なく、ゆったりと観光を愉しむことができます。
京都屈指の名社名刹、そして名庭までもが徒歩圏内にある、これが松尾の魅力です。旅行ガイドで大きく取り上げられることは少ないですが、いずれも訪れる価値は高く、必見です。
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(2024/9/18更新)
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