白亜の三重櫓が残る「明石城」と子午線の町「明石」を歩く

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白亜の三重櫓が残る「明石城」と子午線の町「明石」を歩く

白亜の三重櫓が残る「明石城」と子午線の町「明石」を歩く

更新日:2015/11/27 18:13

後藤 徹雄のプロフィール写真 後藤 徹雄 フォトグラファー

播磨灘を臨み古来より陸海交通の要衝「明石」。
その町並みが整えられたのは大阪の陣のあと、徳川幕府の命で明石城が築かれた頃にまで遡る。以来四百年、築城の活気は脈々と受け継がれ「明石藩の城下町」「海峡の町」「魚の町」そして「ときのまち」として栄えてきた。そんな明石の町の見どころと魅力を紹介しよう。

二基の櫓が町のシンボル・先ずは名城「明石城」へ

二基の櫓が町のシンボル・先ずは名城「明石城」へ

写真:後藤 徹雄

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JR明石駅のホームに立つと、明石城の二基の櫓(やぐら)とそれを結ぶ城壁が目に飛び込んでくる。三重櫓は漆喰総塗籠の端正な姿で、まさに城下町明石の象徴である。

明石城は1617年(元和3年)信濃松本藩から明石藩へ移封された小笠原忠真が二代将軍徳川秀忠の命を受け築城、1619年に完成させた。
元和の一国一城令で廃城となった付近の城の部材を用い短期間に完成させたという。
向かって右手の巽櫓(たつみやぐら)は以前の居城船山城から、左手の坤櫓(ひつじさるやぐら)は伏見城から移築されたものだ。

築城の目的は徳川幕府による防衛線、特に西国大名に対する押さえの役割であった。
従って徳川系の本多・松平氏による明石藩の政庁として存続し明治維新を迎え、明治6年の廃城令により廃城という歴史の流れである。

国の重要文化財・江戸期より現存の巽櫓と坤櫓

国の重要文化財・江戸期より現存の巽櫓と坤櫓

写真:後藤 徹雄

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櫓(やぐら)は元来「矢倉」と書かれ、武器や食料等を保存しておくための建物であり、また見張り塔や攻めてくる敵を迎え撃つ役割を備えたものだった。そのため城の防備で重要な郭の四隅に建てられ、その方位によって呼ばれることが多い。明石城にあった20基の櫓も次々と失われ、本丸の四隅に建っていた櫓のうち東南と南西の隅櫓だけが今に残る。

江戸時代は方位を北から時計回りに30度ずつ区切り、十二支を順に当てて表したので、東北だと丑と寅の間で「丑虎」これを一文字で「艮(うしとら)」、同じく東南は「辰巳」を「巽(たつみ)」と表した。よって明石城の櫓は巽櫓と坤櫓(ひつじさるやぐら)となる。

明石城には立派な天守台の石垣も残るが、天守が建てられることはなかった。元和の一国一城令の後は、三重櫓をもって天守の代用とした城も多く、明石城の櫓も最高格式の櫓である。

写真は本丸側から見た坤櫓で、明石の町並みの背後に淡路島の島影を臨むことができる。また奇数月の土日祝には櫓の一階部分が公開されている。

巽櫓と復元された土塀

巽櫓と復元された土塀

写真:後藤 徹雄

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こちら巽櫓は偶数月の土日祝に公開。
1995年の阪神・淡路大震災では、石垣の崩壊など大きな被害を受けたが、5年を掛けて修復工事を完了し、二基の櫓をつなぐ塀も復元された。後方に神戸市と淡路島を結ぶ明石海峡大橋も見える。
徳川の城を堪能したら海側の城下町へと降りてゆこう。

東経135度・子午線が通る町「明石」のこんな景色!

東経135度・子午線が通る町「明石」のこんな景色!

写真:後藤 徹雄

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明石市は子午線の町、または日本標準時の町と呼ばれる。
東経135度線上に位置し、明治43年日本で最初に標識を建てたことで子午線の町・明石が広く知られるようになった。
実際子午線の通る町は現在12自治体を数えるが、真っ先に名乗りを上げた明石市に先見性あったということだろう。

明石市内で135度線上に建てられた明石市立天文科学館。
日本で最も古く1960年から稼働しているプラネタリウム投影機があり、これも明石市のシンボル、人気スポットのひとつだ。
最寄り駅は山陽電鉄で明石からひと駅隣の「人丸前駅」となるが、ここに必見ポイントが!
それはホームを横切る子午線の表示だ。ここから天文科学館の時計台を見通すことができる。

写真は今まさに南中した太陽を背に受けながらシャッターを切ったカット、このとき時計台の針は当然正午を指している。
このような記念写真撮影にもお勧めの「ときのまち」を象徴する場所である。

本場明石の「明石焼」に大阪・たこ焼きのルーツを見る!

本場明石の「明石焼」に大阪・たこ焼きのルーツを見る!

写真:後藤 徹雄

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明石城の築城と同時に城下の町割り(都市計画)も進められた。
この時藩主の客臣となっていた剣豪宮本武蔵が線引き(設計)に尽力したと伝わる。
以来城下で四百年近く営業を続ける「魚の棚」は魚の町・明石を代表する商店街だ。
魚商人が軒先にずらりと板を並べ魚を陳列する様子が浮かんでくる。威勢良く「うおんたな」と呼び活気に溢れるところは現在も昔も同じである。

目の前の明石海峡から上がる旨い魚、中でも「明石鯛」や「明石蛸」の知名度は高い。その明石の蛸を使った名物が「明石焼」だ。地元では「玉子焼」の名のとおり鶏卵を使い生地が柔らかく出汁に浸して食す。これが魚の棚周辺だけでも三十店もあるというから驚く(明石焼部会加盟店舗)。

一見同じ明石焼きだが、各店毎に粉の配合、素材選び、出汁の取り方などそれぞれに個性を競い合う明石焼激戦区となっている!
百数十年の歴史を持ち大阪たこ焼きのルーツとなった明石名物を是非味わい、気に入りの店を見付けて頂きたい。

写真は、魚の棚商店街の真ん中にある人気店「あかし多幸」の「明石焼」15ヶ:600円(税別)。もうひとつの名物「鯛茶漬」は 1,200円(税別)。

最後に

明石は神戸(三宮)から新快速で15分、大阪(梅田)からでも40分、
阪神方面へお出掛けの際は、一足伸ばして是非とも歴史に彩られた魚の町・ときのまち「明石」へお立ちより頂きたい。必ずや記憶に残る良き一日となることだろう。

掲載内容は執筆時点のものです。

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