諸戸家は、現在の三重県木曽岬町で代々庄屋を勤めていたのだが、1847(弘化4)年には商売で身代を潰してしまい、桑名の地に移り住むこととなる。その当時1歳だった清六(幼名・民次郎)は、18歳で家督を継ぐと、抱えていた一千両もの借財をわずか2年で返してしまった。
商売で成功した後は政界へも手を伸ばし、大隈重信や渋沢栄一などとも交流を深め、土地の売買を始めるといよいよ頭角をあらわし、一時は東京の渋谷から世田谷まで、他人の土地を踏むことなく行けたと言われるほどである。
それほどの大富豪であるから、当然この桑名の地にある諸戸邸も、その規模は8000坪にも及ぶ壮大なものである。県指定文化財の煉瓦蔵は米蔵として使用されていたものであるが、屋敷を取り囲む長大な黒土塀続きに並ぶ、明治期の息吹を感じさせる重厚な造りとなっている。戦災で2棟が失われ、今は3棟となっているが、往時の諸戸家の繁栄ぶりを如実に伝えるものである。
明治22(1889)年に建てられた本邸は、重要文化財に指定されている。玄関を入った奥には格子戸があるのだが、そこから手前を店舗とし、奥は住居となっている。明確な区分けがなされていて、公私のけじめをはっきりつけておこうとする清六の商人としての心構えが見てとれる。
建物そのものは華美ではなく、風格はあるがあくまでも堅実なものである。苦境から立ちあがってきた商人として、一本筋の通った有り様をそこに見ることが出来るであろう。
庭園に入り、本邸を裏側から眺めると、和風の屋敷と棟続きで、洋館風のテラスがあるのを拝見することが出来る。
今は時代も流れ、しっとりとした落ち着いた風情をかもしているが、建築当時は、デザインといい配色といい、それまでの日本にはなかったまさにハイカラな建物であったことだろう。
純日本庭園と西洋建築とのコントラストを楽しんで頂きたい。
明治24(1892)年に竣工した重要文化財の御殿は、そこから見渡せる池庭とともに名勝にも指定されている。
清六の構想によって様々な工夫が凝らされた庭園の中においても、多くの賓客を招くための御殿は、他に類を見ないほどに柱の数が少なく、最大で5間(9.49m)もの柱間を取るという大胆な構造を備えたものであった。
その広大な池庭を見渡せる開放的な空間は、訪れる誰もを瞠目させるもので、諸戸家の威容を誇るのに十分な効果を与えたことだろう。また、庭の池越しに見る御殿の豪放にして繊細な趣は必見。
広い庭園には多種の草木が植えられ、季節ごとに彩りを変える様は、もちろん言葉に出来ない程の美しさがあるのだが、注目していただきたいのは、それぞれが効果的に配置された「石」の美しさである。
写真は、御殿から池を挟んだ向かい側にある築山の踏み石。贅沢に高価な石を多用しながらも、嫌みのない風雅にして閑静な趣を醸し出している。
遠くから眺めるもよし、実際に踏み締めて歩くもよし。ここだけに限らず、庭の各所で重要な役割を果たしている幾多の石をしっかり見届けて頂きたい。
諸戸氏庭園は、春と秋にそれぞれ期間限定で公開される。取材時にはサツキが見頃であったが、シーズンには多くの種類が揃えられた菖蒲園の美しさもこたえられない。秋にはもちろん紅葉がすばらしいので、ぜひ何度も足を運んで諸戸氏庭園の魅力を味わいつくして頂きたい。
また現在は平成33(2021)年までをめどに、保存修理事業を行っているので、一部の施設は拝見することが出来なくなっている。公開の日程とともにホームページなどで確認されたい。
近隣には、これも諸戸氏の遺産である年中公開の「六華苑」もあり、合わせて拝見したいところであるし、「七里の渡跡」や桑名城跡の「九華公園」など、見どころも豊富。名物のはまぐりはもちろん、うどんの有名店「歌行燈」や「桑名カレー」などの地元グルメも盛りだくさん。ぜひじっくりと訪れることをお勧めする。
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