伝統の人形劇を鑑賞!熊本県・山都町「道の駅 清和文楽邑」

伝統の人形劇を鑑賞!熊本県・山都町「道の駅 清和文楽邑」

更新日:2015/11/30 12:41

熊本県東部、九州のほぼ真ん中に位置する山都町は、世界最大級の阿蘇のカルデラの南外輪山を含み、多くの河川や渓谷、滝など豊かな自然にも恵まれた地域です。
その中で清和地区は、古くから農民の間で人形浄瑠璃が盛んな場所でした。「道の駅 清和文楽邑」には、この伝統劇を今に伝える専用劇場「清和文楽館」があります。今回は九州で唯一、文楽(人形浄瑠璃)を楽しむことができるこの施設をご紹介します。

道の駅 清和文楽邑と文楽館

道の駅 清和文楽邑と文楽館
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道の駅清和文楽邑は、九州自動車道「御船I.C」より東へ1時間ほど、国道218号沿いにあります。物産館では、清和高原で採れた地元野菜や山菜などを使用したお膳や、その昔人形劇を見る際に村人が持ち寄ったお弁当を再現したお芝居弁当、名物だご汁などが楽しめるレストラン、土地ならではの素材を生かしたお土産が各種揃います。

ここが他の道の駅と圧倒的に異なるのは、九州で唯一、人形浄瑠璃を行う「文楽館」が併設されていることにあります。

清和文楽の歴史は古く、江戸時代末期まで遡ります。1850年頃、山都町の旧清和村に、人形芝居の一座が淡路から訪れました。その際、浄瑠璃が好きな村人が一座から人形を買い、技術を習得したことが始まりといいます。娯楽の少なかった農村地帯の楽しみとして、農家の人々の間で広まり、神事やお祭りなど各地の行事で披露したりしながら代々受け継がれてきました。

一度は衰退したものの、村おこしの一環として清和文楽再生への取り組みが行われ、平成4年に「清和文楽館」が建設されました。現在も地域の農家の方々、地域で働く人々を中心に構成され、公演が行われています。

清和文楽館で行われる外題

清和文楽館で行われる外題
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文楽館では、日によって60分間の定期公演と、30分間の紹介版ミニ公演が行われています。文楽を見たことがないという方は、後者でも十分にその魅力が味わうことができます。

文楽館で行われる外題(演目)には、公家や武士が中心となって活躍する「時代物」と江戸時代の町人世界を描いた「世話物」、季節によっては清和文楽オリジナルの芝居が上演されることもあります。

江戸時代の人々の心の機微、葛藤、人の心にたまった澱のようなものをこれでもかと見せ付けてくれる文楽は、表現はオーバーでありながらも、現代人の悩みに通ずるものも多くはっとさせられます。

写真は「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)渡し場の段」の一幕で、清姫という姫が、思いを寄せる安珍という男を追って日高川を渡るというもので、人形の顔が一瞬にして鬼の形相へと変化する「ガブ」という特殊な首(かしら)が使われるのが見どころです。

2015年冬は、「日高川入相花王」に加え、オリジナルの「雪おんな」が上演される予定です。

※公演スケジュールはMEMO参照

公演後のふれあいタイム

公演後のふれあいタイム
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文楽は、太夫と三味線による義太夫、そして人形遣いで成り立っています。
清和文楽の公演では、太夫が一人で場面の説明をし、登場人物全てを語り分け、三味線まで弾きこなす姿に驚かされます。

また、演技をする人形にいたっては、人形の首と右手を担当する主遣い、左手は左遣い、足は足遣いと一体を3人がかりで操るという、世界でも類を見ない複雑な構造を呈しています。
このそれぞれの技術の結集により、まるで人形が生きているかのような、リアリティに溢れた緻密でドラマティックな演出が可能になるわけです。

公演が終わると、劇中に登場した人形が客席にやってきて、操作体験や一緒に記念撮影を行ったりするふれあいタイムが設けられています。なかなか普段は近づくことのできない人形に触れて、文楽の世界を堪能してみましょう。

※演目により開催されない場合あり。詳しくはお問い合わせ下さい。

展示棟で文楽を知る

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清和文楽館の展示棟では、お芝居が行われない日でも文楽に親しむことができるようにと、様々な資料が常設展示されています。

例えば、本物の人形の頭(かしら)や手足を自分で動かすことが出来る体験コーナーや、使用されている衣装や三味線、人形の動きを自動で再現しているコーナー、清和文楽の成り立ちを紹介したパネルなど、見応え十分です。

棟の天井は「バット工法」と呼ばれる珍しい技法で作られ、まるで円の中に吸い込まれてしまいそうな見事な木組みにも是非注目してください。

山都町を代表する名所

山都町を代表する名所
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道の駅 清和文楽邑にもほど近い、山都町で最も有名な名所といえば、歴史的建造物として国の重要文化財にも指定されている日本最大級の石造りアーチ水路橋「通潤橋」があります。

1854年(嘉永7年)、水不足に悩んでいた白糸台地に水を送るため、地元の惣庄屋であった布田保之助が指揮を執り造られた橋で、長さ75.6メートル、高さ20.2メートル、幅6.3メートル、1日で100haもの水田を灌漑する力を携え、建設に関わった種山石工の高度な技術力の結晶が、今も現役でこの土地を豊かに潤しています。

国道からは、その美しい姿が棚田の中に佇む光景を見ることができ、時間帯によっては放水も行われます。今年度から放水スケジュールも事前に公開されていますので、確認の上、合わせて訪れると良いでしょう。

※放水スケジュールはMEMO参照

おわりに

俳人・種田山頭火が「分け入っても分け入っても青い山」と詠んだのは、ここから先の高千穂へと続く道だといいます。
そんな山深い小さな里で、160年以上もひっそりと歴史を重ねてきた伝統芸能、かつて村人たちが肩を並べ、喜んで見ていたであろう光景を浮かべながら、是非、この地に暮らす末裔たちが守る同じ舞台を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/11/15 訪問

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