パワーストーン“ヒスイ”の故郷・新潟県「糸魚川」日本文化の原点を見に行こう

パワーストーン“ヒスイ”の故郷・新潟県「糸魚川」日本文化の原点を見に行こう

更新日:2016/12/02 12:31

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
翡翠(ヒスイ)――邪を退け心身を浄化するこの緑色の石を、世界で最初に利用・加工したのは縄文人でした。古代から日本人に愛されて来た特別な石、その故郷は新潟県の糸魚川地方です。ここで作られた珠や勾玉は日本全国へと広がり、その加工技術は出雲とも関係します。ヒスイ文化・日本文化の原点を糸魚川で体感しましょう。

パワーストーン探し〜ラベンダービーチ〜

パワーストーン探し〜ラベンダービーチ〜

写真:松縄 正彦

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日本のヒスイ(写真:ヒスイ原石)の主要な産地は糸魚川地方です。姫川と青梅川の源流から日本海に原石が流れ、海流の関係で姫川から富山湾にかけての海岸で、今でもヒスイ原石を拾う事ができます。

特に「ラベンダービーチ」(MEMO欄参照)では、“ラベンダーヒスイ”といわれる、紫色をした希少なヒスイも拾える事があります。後述のミュージアムで緑や紫のヒスイの色を覚えておくと、あなたのパワーストーンをここで探せるかもしれません。
また、ラベンダービーチにはヒスイと関係したヌナガワヒメの像があります。首に緑色のヒスイの首飾りがつけられていますが、ヒスイは日本神話とも深くかかわっているです。

ちなみにヒスイは漢字で“翡翠”と書きますが、これは中国語でカワセミの雌雄を意味する言葉です。翡は橙を、翠は緑を意味します。カワセミは羽根色が光沢のある綺麗な色をしていた事から付けられたのですが、“ヒスイ”の色が類似している事から翡翠玉とよばれ、これが日本に伝わったとされます。日本ではヒスイというと緑色を思い浮かべますが、もともとは橙色も意味する言葉だったのです。

ヒスイ見学〜フォッサマグナミュージアム〜

ヒスイ見学〜フォッサマグナミュージアム〜

写真:松縄 正彦

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正確にいえば、ヒスイには白、灰、黒、緑、薄紫、青、黄、橙、赤色があるとされます。しかし、日本では赤系色のヒスイは産出されていません。ヒスイといえば日本人が緑系統の色(古代に緑は青色に分類)をすぐに思い浮かべるのは、このような背景があるのです。姫川の傍にある「フォッサマグナミュージアム」(写真)でこの多様なヒスイを見る事ができます。

ミュージアムでは多数のヒスイ原石が、またヒスイの特性、何時どのように形成されたのか、などが詳しく展示説明されています。さらに糸魚川周辺で多数出土した色々な鉱物や化石についての展示も充実して見応えがあります。ここは日本最初の“世界ジオパーク認定施設”(MEMO欄参照)になっているのです。

ヒスイの源流〜小滝川ヒスイ峡〜

ヒスイの源流〜小滝川ヒスイ峡〜

写真:松縄 正彦

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ヒスイの原石が出土する場所にも行ってみましょう。原石産出地は2つ(「小滝川ヒスイ峡」と「青梅ヒスイ峡」でいずれも国指定史跡)ありますが、ここでは小滝川ヒスイ峡を紹介します。ちなみに記事最初の写真のヒスイはここから出土した原石です。

実は昭和13年までは、日本ではヒスイは産出しないと思われていたのですが、この地で再発見されました。ヒスイが再発見される前には、原石が重い事から“漬物石”として使われていたという笑えない逸話もあります。

小滝川ヒスイ峡は、姫川の上流、明星山の大絶壁の脇にあります(写真)。ここに現在でも5億年前に地下深くで作られた大きな原石が83個も存在しているのです。ちなみに写真にも数個の原石が写っています。
このヒスイ峡に行くには「高浪の池」経由で行くと良いでしょう。高浪の池・明星山が一望に見えるスポットもあり、絶景が楽しめます。近道もありますが、狭い山道で冬季は通行止めになります。

ヒスイの玉〜長者ヶ原遺跡〜

ヒスイの玉〜長者ヶ原遺跡〜

写真:松縄 正彦

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このヒスイ、5000年前から縄文人がこの地で利用・加工をしていました。「長者ヶ原遺跡」と「寺地遺跡(ラベンダービーチ傍にあります)」がその加工場所で、まさにここが日本のヒスイ文化発祥の地なのです。

長者ヶ原遺跡のそばには「長者ヶ原考古館」(写真)があり、ここで遺跡から出土したヒスイの玉やその加工道具、また加工の方法、遺跡の全体像を知る事ができます。
特に、加工では溝切、研磨やハンマーの役目をする道具が見られ、穴あけの様子も知る事ができます。またこの加工技術を使い、ここは”石斧”でも当時のトップブランドの生産地でした。

長者ヶ原遺跡内に当時の住居が復元されていますが、これら加工作業は特別の工房ではなく、この住居内で行われていました。今でいう職住一体の家内制手工業で加工されていたのです。

そして出雲へ

そして出雲へ

写真:松縄 正彦

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縄文時代、糸魚川で作られたヒスイの珠は日本の東部、富山から北海道へと送り出されます。また弥生時代には勾玉に加工し、逆に日本の西部、沖縄から朝鮮半島にまで配られます。しかし古墳時代、大和政権下では奈良の曽我遺跡などにヒスイ生産地が集約され、ここはヒスイ原石を供給するのみになってしまいました。しかし実は出雲の玉湯温泉周辺での玉造り工房では、糸魚川の加工技術と同じ技術が使われ、その後も利用されていました(写真は玉造湯神社の出土品収蔵庫)。

なぜ出雲なのでしょうか?古事記によれば、出雲のオオクニヌシは高志国の“ヌナガワヒメ”と結婚した事になっています。実はこの高志国は越後国頚城郡奴奈川郷で、まさにヒスイ作りを行っていた糸魚川の姫とオオクニヌシは結婚したのです。ちなみに姫川という名前はこの“ヒメ”にちなんだ名前といわれ、さらにヒスイを糸魚川で再発見する契機もこの神話がヒントになりました。

また出雲には「古志」という地名があります。さらに「美保神社」の名前の美保はヌナガワヒメの子供、“ミホススミノミコト”にちなんだ名前であるともいわれます。糸魚川と出雲とは弥生時代、非常に深いつながりがあった事、これらがヒスイ加工技術の背景に隠されているのです。

日本神話とヒスイ

三種の神器の1つに玉があります。“八尺瓊勾玉”で、八坂(ヤサカ)は大きい、“瓊(ニ)”は青い、あるいは赤い・美しいという意味で、大きな青(ヒスイ)や赤い色の玉を意味します。また天孫降臨をしたニニギノミコトは漢字で”瓊瓊杵尊”と記され、“瓊”が繰り返されている事から、青い玉(や赤い玉)をたくさんつけた人を意味しています。
このように出雲だけではなく、天孫族の神様もパワーストーン、青い(緑色の)ヒスイを珍重し、たくさん身に着けていました。

日本神話と深く結びついたヒスイ、このヒスイ文化発祥の地が新潟県・糸魚川です。さあ、日本文化の原点に出会いに行きましょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/11/20 訪問

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