写真:後藤 徹雄
地図を見る瀬戸内海に浮かぶ風光明媚の島「小豆島」。オリーブや蜜柑、手延べ素麺の産地として、また映画「二十四の瞳」のロケ地として知られる瀬戸内海で二番目に大きい島である。また良質の花崗岩を産出し、特に1583年の豊臣秀吉による大坂城築城の時から、加藤清正など配下の武将が派遣され島内に丁場が開かれた。丁場とは採石場のことである。島の西海岸にある小瀬原丁場は加藤家が採石に当たった丁場で、家紋をうがった割石も多数残されている。
その小瀬の岩山の山頂に「重岩」または「重石」と呼ばれる巨石がある。途中にある小瀬石鎚神社の御神体であり、落ちそうで落ちない不思議な格好で乗っかっているのだ!
この重岩が自然の造形か人工のものかまだ判断は付いていないそうで、近年は新しいパワースポットとしても注目を浴びている。麓から階段と岩場を登ること約20分、瀬戸内海を見晴らす絶景と重岩の姿は旅人の心に残るに違いない。
写真:後藤 徹雄
地図を見る海岸に四十数個もの残石が並ぶ小海の「大坂城残石記念公園」。当時小海村だけでも七ヶ所あった丁場は小倉藩細川家の受け持ちであった。切り出された石は石舟や筏に載せられ大坂へ運ばれたが、どういう理由か積み残され置き去りにされた石があり、これが後に「残念石」と呼ばれたのである。花崗岩から切り出した石材が御影石であるが、ここに残された積み石(平石)も上質の白御影石である。散在していた残念石は明治初年にここに集められ、現在は香川県の指定史跡となっている。
併設の大坂城残石資料館には小豆島における丁場の歴史資料と当時運搬に使われていた道具類、石工が使った工具などが展示されており石材についての見聞を広めることができる。四百年の時を越え、今もなお船出を待つかの如き残念石の佇まいにきっと胸を打たれることだろう。
写真:後藤 徹雄
地図を見る東海岸の岩谷地区にも五つの丁場跡があり、福岡藩黒田家が採石に当たった。一帯には1,600個あまりの種石が残るという。中でもこの天狗岩丁場は島内最大のもので、石切丁場としては唯一の国指定史跡となっている。山道を10分ほど登って行くと、山の斜面に多くの天然石が露出しており、中でもひときわ目を引くのが推定重量1,700トンといわれる「大天狗岩」である。高さ17m、周囲35mという巨石に圧倒される。
大坂城の石垣には鏡石といわれる巨大な石が使われているが、このような天然石から切り出したのであろうかと想像もふくらむ。
写真:後藤 徹雄
地図を見る残念石やその元となった種石には表面に歯形のような一列の穴が残るものがある。これは矢穴と呼ばれるもので、石工が石の目を見定め、割る位置と方向を決め鉄製の石ノミで開けた下穴の跡である。
途中で計画が変わったり目を読み違えた失敗作もあり、矢穴の跡のある大石が当時の姿のまま横たわっている。今は静まりかえった丁場跡だが今にも石工の鎚音が聞こえてくるようだ。無事に城の石垣に組み込まれた積み石の中にもこの矢穴の跡が残っているものがある。整然と積まれた石垣に矢穴や大名の刻印を探してみるのも城郭廻りの楽しみのひとつである。
写真:後藤 徹雄
地図を見る今も「太閤さんのお城」と呼ばれる大阪のシンボル大阪城。1583年に豊臣秀吉により築城されたが三十年後、大坂夏の陣で落城し豊臣氏が滅亡すると、江戸幕府は堀も石垣も打ち壊し、さらに盛り土をした上に改めて巨城を築いた。徳川幕府の威信をかけ諸大名に普請を負わせる天下普請による築城となった。
現在の大阪城はその遺構の全てがこの徳川幕府によるものである(天守は昭和6年に復興)この三期九年を掛けた修築工事の過程で残念石という落とし物が残され、ついに回収されずに今日に至ったのである。(豊臣時代までは大坂と表記)
実は小豆島に限らず、兵庫から大阪にかけて相当数が確認されており、各地で記念碑的に展示されている。大阪城内にも刻印のある残念石を並べた広場があるので、大阪城にまつわる四方山話として憶えておけばまた違った城見物になるだろう。
小豆島へは四国・本州どちらからもフェリー、高速船が頻繁に運航されていて気軽に渡ることができ日帰り観光も可能である。関西、四国方面へお出掛けの際は、是非一足伸ばして小豆島の美しい景色と歴史にふれて頂きたい。
この記事を書いたナビゲーター
後藤 徹雄
広告、出版の分野で写真撮影をしているフォトグラファーです。全国各地の城跡の情報を写真と共にお届けします。お城の石垣だけで纏めた写真集「城壁 〜石積みの肖像」三部作を出版。日本城郭検定一級。
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(2025/2/13更新)
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