カクレキリシタンの信仰が今も残る! 長崎・生月島の旅

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カクレキリシタンの信仰が今も残る! 長崎・生月島の旅

カクレキリシタンの信仰が今も残る! 長崎・生月島の旅

更新日:2015/11/25 17:49

長崎県・生月島は宣教師たちの布教により、島民のほぼ全員がキリシタンとなりましたが禁教令による激しい弾圧を受け、殉教の史跡が島内各地に残されています。
また、生月島は潜伏キリシタン時代からの信徒・カクレキリシタンの信仰が今も続いていることでも有名です。
長崎の教会群とキリスト教関連遺産巡りとは異なるディープな歴史を体感されてはいかがですか。

カクレキリシタンの方々が“天国の門”と見なす聖地「中江ノ島」

カクレキリシタンの方々が“天国の門”と見なす聖地「中江ノ島」
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平戸島と生月島を結ぶ「生月大橋」から北東側に見える小さな島が聖地「中江ノ島」。
禁教令の初期・1622年(元和8年)、六人の信徒と幼子を含む家族がここで処刑されました。

信徒の一人・ヨハネ次郎右衛門が「中江ノ島」に向かう船中での発言(ここからパライソ(天国)は遠くない)から、信徒たちに天国への門と見なされるようになり、今も大切な聖地として“お中江様・お迎え様・御三体様・サンジュワン様”と呼ばれ、守られています。

また、お授けという洗礼儀式を行なう際に必要な聖水を汲み取るための儀式が島内で行われており、不思議なことにどんなに日照りが続いても聖水は枯れないといいます。

殉教の様子を伝えるオラショ(口伝えの祈祷)・「さん・じゅあん様の歌」は生月町博物館「島の館」で録画資料を見ることができます。哀切溢れる美しい調べをお聞きください。

断崖絶壁崖に潜んでいた親子三人が殉教した史跡「だんじく様」

断崖絶壁崖に潜んでいた親子三人が殉教した史跡「だんじく様」
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生月島の西側は海際まで山が迫る断崖絶壁崖の多い地形です。
「生月大橋」から西側の道を3kmほど進むと「だんじく様(ダンジュク様)」と呼ばれている殉教史跡があります。

親子はキリシタン迫害の手から逃れるため、岸壁に生い茂る背丈の短い暖竹(だんじく/竹や笹ではなく葦の一種)の薮に隠れていましたが、海上からの捜索によって発見され、斬首されてしまいます。
そのため、本史跡を訪れる際は今も船で行くことが禁じられ、険しい山道を通ることが約束事として守られています。

崖下にある史跡までの道は長く急峻で、取締りの役人たちから命がけで逃れた親子三人の気持ちと苦境が偲ばれます。
悪天候や波の高い日、脚力に自信のない方は無理な訪問を控えた方が良いでしょう。それほど、苛烈で物悲しい場所にある史跡です。

南部港町の一角にあるキリシタンの大量虐殺を伝える史跡「千人塚」

南部港町の一角にあるキリシタンの大量虐殺を伝える史跡「千人塚」
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島の東側は海に向かってなだらかなひな壇が続いているため、地形を活かした趣きある町なみや風情あるお店、路地の景色を楽しむことができます。
そんな南部の中心地・舘浦の一角に「千人塚」という殉教史跡があります。

正保2年(1645年)に起きた正保の弾圧により、生月島はもとより、平戸島の獅子村、根獅子村の信徒、疑わしい者、その家族を含めて数百名が斬殺されて、ここに埋められたと伝わっていることから「千人塚」と呼ばれるようになりました。

もともとこの場所にあった「千人松」という大きな聖木のもとに埋葬したことが転化した。後年に長崎・大村で起きた弾圧の話も含まれているなど、諸説ありますが、数百名の虐殺された方々を弔う場所であることだけは間違いありません。

ルイス・デ・アルメイダが教会を建てたと伝わる「焼山」

ルイス・デ・アルメイダが教会を建てたと伝わる「焼山」
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生月北部・壱部のバスターミナルから生月小学校に向かって進むと学校の左側に小さな森が見えます。

その森の奥深くに今もカクレキリシタンの方々/3つのツモト(組織)が共同で神さまをお祀りしている貴重な御堂があり、拝見(参拝)することができます。
御堂の前には賽銭箱が置かれてあり、潜伏期に信仰が土着化していったことが推測され、大変興味深く感じます。

かつてはイエズス会の宣教師であるルイス・デ・アルメイダによってセミナリオと教会が置かれていたとも伝えられていますが、焼山の由来は三つあり、定かではありません。
一つは教会を焼いたため。もう一つは惨殺した信者を穴に投込み、焼き捨てたため。さらに当地一帯を焼き払わせたためというもの。

本史跡は民家の脇の細い道を森の奥に向かって進まないとなかなか辿り着くことはできません。
また、信徒の方々が大切にされていることはもちろん、民有地のすぐ脇を通るため静かに見学(参拝)ください。

南部の集落・山田免の中腹にある大きな十字架の史跡とガスパル様の墓碑

南部の集落・山田免の中腹にある大きな十字架の史跡とガスパル様の墓碑
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島の南部を治めていたキリシタン領主・籠手田(こてだ)氏が島を追放された後、キリシタンの指導にあたった元奉行の西玄可(洗礼名ガルパス)が処刑された場所にあるのが本史跡です。

黒瀬の辻と呼ばれるこの場所には、もともと大きなクロスや教会があったという説があり、クロスの辻が転化したものと言われています。
そのため、ガルパス西が処刑される場所として望み、1609年に斬首された後、信者たちによって埋葬されたと伝わっています。

山の中腹に建つ大きな十字架(記念碑)は山田の集落内から目にすることができる印象的な史跡です。

みなさまへのお願い

今回、紹介した史跡以外にも「お屋敷様」「茶屋のジサンバサン」「アントー様」「幸四郎様」「八体様」などの史跡が島内にはたくさんあります。

ただし、民家の一部にあるため事前の連絡が必要であったり、靴を脱いで参拝したり、写真撮影は控えるたりするといったマナーが多々あります。
まずは生月町博物館「島の館」を訪問し、学芸員の方に見学方法や場所等をきちんと相談したうえで訪問しましょう。

教会は信者の皆さんにとって大切な祈りの場です。お祈りされている方の邪魔にならないよう静かにご見学ください。くれぐれもマナーを守って見学してください。
祭壇はもっとも神聖な場所です。絶対に立ち入らないようにしましょう。教会後ろの二階部分も立ち入り禁止です。
祭壇はもちろん、ミサの撮影はNGです。司祭等のお許しがない限り、撮影・公開するのはマナー違反です。

また、潜伏キリシタン時代からの信仰を守り続けている方々(カクレキリシタン)について、誰彼かまわず聞き出すようなことはおやめください。
ぜひ、生月島に宿泊し、数日かけてゆっくり散策されることをお勧めいたします。

参考文献
長崎游学(2) 長崎文献社
カクレキリシタン オラショ-魂の通奏低音 宮崎 賢太郎/長崎新聞新書
カクレキリシタンの信仰世界 宮崎 賢太郎/東京大学出版会

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/12/24−2013/12/25 訪問

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