鎌倉の腰越・片瀬地区の神社仏閣で、歴史に触れましょう!

鎌倉の腰越・片瀬地区の神社仏閣で、歴史に触れましょう!

更新日:2015/11/30 12:47

鎌倉市腰越、藤沢市片瀬地区は、鎌倉から江ノ電で20分。
有名な鎌倉大仏や江の島とは違った楽しみがあります。
喧騒な街中から少し離れて、歴史をたどりながら、風景を楽しむことができます。

小動神社、満福寺、龍口寺、常立寺などがある、このエリアをぜひ訪れてみましょう!

由緒正しき小動神社のユーモラスな狛犬

由緒正しき小動神社のユーモラスな狛犬
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江ノ電の腰越駅から海のほうに歩いていくと、小動(こゆるぎ)神社があります。この神社は、源平の合戦に活躍した武将佐々木盛綱が1185年創建したと「吾妻鑑」に記載されています。鎌倉幕府討幕の際には、新田義貞が必勝祈願をした由緒正しき神社です。

ここの阿吽の狛犬二対は、頬かむりをしていてユーモラス!手ぬぐいは、毎年氏子の漁協方の奉納。境内には、海の神様(龍海王様)の亀像があり、海の守り神ですね。神社のすぐそばに腰越漁協があり、「生しらす」のお店が並んでいます。

江の島と海が綺麗にみえる絶景ポイントです!

江の島と海が綺麗にみえる絶景ポイントです!
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小動神社からは、対岸のヨットハーバーのある江の島もくっきり見えます。幕末のペルーの黒船来航の時には、大老井伊直弼の所領で、境内の小動山の一角に小動砲台が築かれたそうです。

源義経が手紙を書いた満福寺

源義経が手紙を書いた満福寺
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小動神社から江ノ電の方向に歩いていくと、満福寺。このお寺は、源義経が兄源頼朝に鎌倉に入る事を許されず、頼朝宛ての手紙「腰越状」を書いた寺として有名です。「腰越状」の原案は弁慶が書いたと伝わっています。結局のところ、政治家としての考えを優先する兄頼朝に、天才武将の義経は許してもらえませんでした。「判官贔屓」の始まりですね。

江ノ電の線路からお寺に階段で上るという、鎌倉ならでは風景。

土牢の残る龍口寺

土牢の残る龍口寺
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鎌倉時代に日蓮が鎌倉幕府に弾圧されて、処刑を免れるまで幽閉されていた場所に龍口寺があり、土牢が残っています。お寺は明治時代に建てられた五重塔があり、立派な境内です。山門、本堂、天井など、いろいろな所に龍の絵や木彫りがあり、探す楽しみがあります。このお寺の鐘は、お題目を唱えると一人一回撞くことが出来ます。なかなかできない経験だと思いますから、お題目を唱えながら気持ちをこめて、撞かせていただきましょう。

この龍口寺の目の前の道は江ノ電と車が併走。道沿いに有名な江ノ電もなかのお店もあります。この江ノ電もなかは夕方前に売り切れますから、お土産なら早めに買っておくことがおすすめ。お茶をするなら、東京神楽坂に本店があるケーキ屋さんATELIER KOHTAは、19時まで営業ですからゆっくりできます。

モンゴル出身の力士も参拝する常立寺

モンゴル出身の力士も参拝する常立寺
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モノレールの湘南江の島駅のそばには、「ゑのしま道」と彫られた石の道標を見つける事ができます。江戸時代の江の島弁財天参りのために建てられたものです。探してみましょう。

モノレール駅のそばに、常立寺があります。このお寺は、滝口寺を守る龍口寺輪番八ヶ寺の一つとして建立されました。常立寺には、鎌倉時代の元寇の時に、元から派遣され、執権北条時宗の命令により処刑された使節五人の慰霊塔があります。数年前には、モンゴルの大統領も訪問。現在は、モンゴル出身の力士たちにより、モンゴルの勇者の色である青い布がまかれています。800年以上たった、二つの国の交流を興味深く感じる事が出来ます。

境内にはお地蔵さんが並び、2月頃は梅の名所です。

おわりに

鎌倉市腰越、藤沢市片瀬地区は、鎌倉からみると、少し外れの地域です。鎌倉から江ノ電か、大船からモノレールで訪れる事ができます。自転車にサーフボードをつけたサーファーが江ノ電と一緒に道路を普通に走っています。

鎌倉市内とは違った新しい発見がありますから、のんびり訪れてみると、楽しいですよ。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/10/23 訪問

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