写真:手塚 大貴
地図を見る「小菅修船場跡」があるのは、グラバー園や大浦天主堂がある長崎市中心部から少し外れた、国道沿いの入り江となっている場所です。周辺は住宅やマンションが建ち並ぶごく普通の市街地。初めて訪れた人は、こんなところに世界遺産が!?と驚くことでしょう。
でもこの小菅修船場跡、2015年に「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつとして、確かに世界遺産に登録された場所なのです!
小菅修船場は、日本で初めて蒸気動力を用いたスリップドックとして建設された、日本の近代造船所発祥の地と言える修船施設。スリップドックとは船架(船を載せる台)によって船を曳き揚げるドックのことで、かつてレール上に設置されていた船架がそろばんのように見えたため、「ソロバンドック」の通称で今も親しまれています。
同じく長崎で世界遺産に登録された軍艦島や旧グラバー住宅と並ぶ、日本の近代化を象徴する産業革命遺産です。
写真:手塚 大貴
地図を見る小菅修船場が完成したのは1869年。あのトーマス・グラバーと薩摩藩士の五代才助、小松帯刀による計画で、グラバーの故郷であるスコットランドから装置一式を取り寄せて建設され、日本で初めて蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップドックが完成しました。
小菅修船場はすぐに明治政府が買収し、1887年に三菱の所有となります。そして近代造船の発展は、現在の三菱重工業(株)長崎造船所へとつながっていったのです。
小菅修船場は、船の大型化などにより1953年に閉鎖されましたが、日本近代史における価値が認められ、1969年には国の史跡に指定されました。日本近代造船史上現存する最古の遺構としてばかりでなく、明治初期の工場遺構としても貴重な文化遺産となっています。
写真:手塚 大貴
地図を見る小菅修船場を特徴付けているのが、曳揚げ小屋と捲上げ機です。なかでも曳揚げ小屋は美しい煉瓦造りが印象的な建物。
実はこの曳揚げ小屋、現存する日本で最も古い本格的な煉瓦造りの建物なのです!長崎特有の扁平な「コンニャクレンガ」を使用しているのが特徴で、焼成温度を高くできなかったためにレンガが薄くなったと言われています。
曳揚げ小屋の内部には、蒸気の力で船を曳き揚げたボイラーや巨大歯車が残されています。当時はこれらの機械を用いて、1000トン級の船を曳き揚げていたというから驚き!
これまでは外観しか見学できなかった曳揚げ小屋ですが、2015年11月より、土日祝日限定で内部公開が始まりました。ボランティアガイドの案内で見学できるので、曳揚げの仕組みを深く知りたい人にオススメです。
写真:手塚 大貴
地図を見る曳揚げ小屋と捲上げ機から敷かれたレールは海へと真っ直ぐに延び、そのまま海中へ続いています。当時は、船を滑り台に乗せ、曳揚げ小屋内の装置とボイラー型蒸気機関を用いて、船を陸地へと曳き揚げていたのです。船の修理が終わると、逆の手順で船を海へ滑り下ろしていました。
狭い入り江が陸地に食い込んだこの場所の独特な地形も、こうしたスリップドックとして最適だったのです。
多くの船を曳き揚げてきたレールは今では赤く錆び付き、時の風化を感じさせる光景となっています。そしてレールが消える海の対岸には、現在の三菱重工業(株)長崎造船所が・・・。
小菅修船場から三菱重工業(株)長崎造船所へと、まるで日本の近代造船の発展を表すかのように、レールは長崎造船所の方向へ、海の中へと消えているのです。
小菅修船場跡には専用の駐車場はないので、JR長崎駅前からバスに乗って訪れるのがオススメ。長崎バスの野母半島方面(戸町経由)に乗車し「小菅町」で下車、徒歩5分ほどで到着します。
また軍艦島へのクルーズ船に乗ると、海上から小菅修船場跡を眺めることができます。ただし、あっという間に通過してしまうので、できれば陸上から訪れてじっくりと見学するのがオススメです!
小菅修船場跡は、軍艦島や旧グラバー住宅に比べると注目されることが少ない世界遺産ですが、日本の近代化と産業革命を知るうえでとても貴重な場所です。訪れた人は誰もが、近代の日本を支えたドックが市街地の片隅に当たり前のように残されていることの素晴らしさを実感するはずです。
世界遺産でありながら、ひっそりとした秘密めいた雰囲気・・・、それこそが小菅修船場跡の魅力なのかもしれませんね。
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(2024/11/11更新)
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