漁師が松に掛かっていた美しい羽衣を見つけ、持ち帰って家の宝にしようと思いました。その時、木の陰から天女が、私の羽衣ですから返して下さいと声を掛けました。漁師は返すので、天人の舞を見せて欲しいとお願いします。羽衣を身にまとった天女は舞い踊ります。その躍動に羽衣も翻ります。天女は徐々に天へと上がり、霞の彼方へと消えていきました。
上記のような“羽衣伝説”が残っている「三保の松原」にある「羽衣の松」。初代は、1707年(宝永4年)の富士宝永山噴火の際に海中に没したと伝わっています。二代目も樹齢650年を越えて衰弱し、2010年(平成22年)に世代交代が行われ、三代目の「羽衣の松」となりました。
フランスの舞踏家エレーヌ・ジュグラリス(1916年〜1951年)は日本の能に興味を持ちました。特に西洋に数多く伝わる「白鳥伝説」に通じ、ヨーロッパの人々にも分かりやすい能楽作品の一つ「羽衣」を研究し、独自の「羽衣」を創り、各地で上演して好評を得ました。しかし彼女は35歳という若さでこの世を去ります。
能楽作品「羽衣」の舞台である「三保の松原」に憧れを抱いていた彼女の遺志を果たすために、夫のマルセル・ジュグラリスがエレーヌの遺髪を携え美保を訪れました。これを機に、1952年(昭和27年)にエレーヌ・ジュグラリスの遺徳を忍んで記念碑が建立されたのです。
中央のエレーヌの碑には夫・マルセルが妻・エレーヌに捧げた言葉がフランス語で刻まれ、左手前にある石碑には以下の和訳が書かれてあります。
“美保の浦 波渡る風 語るなり パリにて「羽衣」に いのちささげし わが妻のこと 風きけば わが日々の すぎさりゆくも 心安けし”
「三保の松原」から500メートルにも及ぶ松並木の参道、通称“神の道”が北西へ向かって伸びています。その先にあるのが美保の中心に鎮座する“御穂神社”です。
その“御穂神社”の離宮で駿河湾に望む小さな神社が1956年(昭和31年)に再建された「羽車神社」。“御穂神社”と同様に、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)または大国主命(おおくにぬしのみこと)とも呼ばれる三穂津彦命(みほつひこのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)の二神となっています。
御神木は、もちろん「羽衣の松」です。特に縁結び、歌舞音曲、農耕、海上安全、大漁の守護神として崇敬されています。石に願い事を書いて納めると願いが叶うとされ、神社には多くの石が見受けられます。
写真を御覧になり、松原と人間の大きさを比較してみて下さい。日常生活では感じられないような巨木との対比に遠近感や距離感が、少々狂いそうになります。
でも、安心して下さい。日本ですよ。
しかも関東と関西の間にある東海地域の静岡県。鉄道での場合、新幹線に乗車して静岡駅まで向かい、東海道線に乗り換えて、約11分で最寄りの清水駅です。清水駅前3番のりばから路線バスに乗車して、運賃は片道360円で「三保の松原」へ。
その他、無料駐車場もあり、水上バスも運航しています。詳しくは下部関連MEMOにあります、公式サイトへのリンクから各種の交通アクセスを御確認下さい。
静岡市清水区にある「三保の松原」は1922年(大正11年)に全国で初めて国の名勝指定を受けた松原です。また福井県敦賀市・気比の松原、佐賀県唐津市・虹の松原とともに日本三大松原のひとつに、その名を連ねています。
2013年(平成25年)に富士山が“信仰と芸術の源泉”として世界文化遺産に登録されました。富士山世界文化遺産の25の資産・要素で構成されています。「三保の松原」も、その構成資産のひとつです。
他の24の構成資産が富士山域とその周辺地域であるのに対して、「三保の松原」だけが富士山から40キロも離れた場所です。
古くから絵画や和歌に「三保の松原」と富士山の関係性が数多く残されていることが評価されたためだと考えられています。
多くの芸術作品や逸話の残る静岡市清水区にある「三保の松原」。世界文化遺産に登録された富士山の構成資産でもあり、「三保の松原」からの景観は日本人のみならず、訪れた方なら誰でも胸に響くものがあるでしょう。
鉄道、バス、自動車、水上バスと交通アクセスも豊富で、一人でも家族でも動きやすい環境が整っています。特に秋から冬の間は、湿度が低く、景色が他の時期に比べて鮮明です。行く前には必ず天気予報などで当日の気候をチェックしてみて下さい。
以上、静岡市清水区にある名勝「三保の松原」の御紹介でした。
※ 名勝、構成資産として「美保松原(みほのまつばら)」と表記・登録されていますが、今回は視認性を重視して「三保の松原」の表記に統一致しました。
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(2024/9/9更新)
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