山口・下関「巌流島」宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地へ

| 山口県

| 旅の専門家がお届けする観光情報

山口・下関「巌流島」宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地へ

山口・下関「巌流島」宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地へ

更新日:2017/11/11 19:31

KISHI Satoruのプロフィール写真 KISHI Satoru 岬の狩人、伝記研究者、旅するパンクス

“巌流島の決闘”といえば、1612年(慶長17年)の宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い。山口県下関市にある「巌流島」には、「文学碑」、「武蔵像と小次郎像」、「必勝タヌキ」、「佐々木巌流之碑」と見所がいっぱい。
歴史好きの方や勝負事に挑戦する方にピッタリの場所です。今回は歴史を振り返りながら「巌流島」の正式名称やアクセス方法など地理的概要も含めて詳しく御紹介致します。

作家・村上元三『佐々木小次郎』の巌流島・文学碑

作家・村上元三『佐々木小次郎』の巌流島・文学碑

写真:KISHI Satoru

地図を見る

山口県下関市にあり、関門海峡に浮かぶ島・巌流島。
1612年(慶長17年)4月13日に宮本武蔵(1584年〜1645年)と佐々木小次郎(生年未詳〜1612年)が決闘した場所として伝わっています。島内には巌流島と大書された決闘の地・木碑。その直ぐ隣には船の形をイメージした巌流島・文学碑が北東を向いて建立されています。

1949年(昭和24年)12月1日〜1950年(昭和25年)12月末まで計395回に渡り「朝日新聞」の夕刊に連載された作家・村上元三(むらかみ げんぞう、1910年〜2006年)の代表的長編小説『佐々木小次郎』。巌流島・文学碑にはその一節が記述され、画家・古舘充臣(ふるたち みちおみ、1926年〜2005年)によって描かれた宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の瞬間がアクリル板に焼き付けられています。

村上元三『佐々木小次郎』、吉川英治『宮本武蔵』と二つの歴史小説を読んでから訪れると臨場感がさらに増すので、そちらもチェックしてみて下さい。

「巌流島」の名称と地理的概要・アクセス

「巌流島」の名称と地理的概要・アクセス

提供元:下関市観光交流部観光政策課

http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/地図を見る

「巌流島」の正式な名称は、「船島」と言います。
元々は17000平方メートルの広さで北西から南東に細長く、船の形状に似ていたことがその名称の由来となっています。明治から大正にかけて、埋め立て工事が行われ、103000平方メートルと決戦当時の約6倍の大きさとなっています。

一般的に呼ばれる島の通称「巌流島」の“巌流”とは佐々木小次郎の剣の流派、また号として用いられたものです。宮本武蔵と佐々木小次郎が「船島」で決闘をした後、「巌流島」と広く呼ばれるようになります。

アクセスは山口県下関市の唐戸桟橋から船で約10分。同様に福岡県北九州市の門司港からも船で約10分です。詳細は下部にある関連MEMOにあります公式サイトへのリンクより御確認下さい。

宮本武蔵と佐々木小次郎・二人の像の完成時期。やはり遅れたのは・・・。

宮本武蔵と佐々木小次郎・二人の像の完成時期。やはり遅れたのは・・・。

写真:KISHI Satoru

地図を見る

宮本武蔵は、現在の岡山県に生まれ、全国各地で武者修行をし、様々な勝負を繰り広げます。一方、佐々木小次郎は、熊本藩の豊田景英が編纂した『二天記』によると越前(えちぜん、現在の福井県)生まれと記されています。武蔵と同様に諸国を遍歴して剣術を磨き、「燕返し」の剣法を体得します。
そして、腕を上げた二人は、後に「巌流島」で対峙することになります。

“巌流島の決闘”の場面を模した二人の像が島の東側に建てられています。小次郎は三尺一寸(約103センチ)の太刀を持ち、武蔵は船の櫂を削った木刀を振りかざしています。因みに小次郎像が2002年12月11日、武蔵像が2003年4月14日に完成・除幕されています。吉川英治『宮本武蔵』、村上元三『佐々木小次郎』の物語と同様に武蔵の方が遅れているのも興味深いポイントです。

「伝馬船」と「必勝タヌキ」

「伝馬船」と「必勝タヌキ」

写真:KISHI Satoru

地図を見る

宮本武蔵と佐々木小次郎の像を過ぎて、さらに南に向かえば人工海浜が広がっています。こちらには、武蔵が「巌流島」に渡る時に用いたとされる伝馬船(てんません)が再現されています。この伝馬船は実際に下関市の山陰方面で使用されたものが設置されているので、より一層リアリティーがあります。
また奥に見える遊歩道を進んで行くと突き当たりには休憩所があり、下関や北九州の景色を存分に楽しめます。

巌流島には、タヌキも生息し、「必勝タヌキ」の愛称で呼ばれています。
タヌキ⇒たぬき⇒他抜き、つまり、“他を抜く”ということで勝負事などには縁起の良い動物のタヌキ。“決闘の地”として有名な場所で「必勝タヌキ」と出会えたら気分も上がって色々な物事に挑戦できそうですね。そんな素敵な出会いも期待しながら「巌流島」を散策してみて下さい。

「佐々木巌流之碑」と歌人・斎藤茂吉の「哀悼歌」

「佐々木巌流之碑」と歌人・斎藤茂吉の「哀悼歌」

写真:KISHI Satoru

地図を見る

「巌流島」の特にオススメのスポットは「佐々木巌流之碑」です。碑文には“船島開鑿工事成功之際建立”とあり、1910年(明治43年)10月31日に建てられて石碑。高さ120センチ、幅65センチ、厚さ45センチの自然石で造られ、高さ100センチの台座に置かれています。当時は島の中央に建立されましたが、現在は島の北側に移されています。

1921年(大正10年)には精神科医で歌人の斎藤茂吉(さいとう もきち、1882年〜1953年)が「巌流島」へと渡り、「わが心いたく悲しみこの島に命おとしし人をしぞおもふ」と敗れた佐々木小次郎を悼んで、歌を詠んでいます。

山口県下関市「巌流島」のまとめ

上述した他に、巌流島の神様が祀られている「舟島神社」や歌人・森重香代子(もりえ かよこ、1936年〜 )の「歌碑」もあるので、お見逃し無く。
唐戸桟橋そばの関門汽船発券所では、旅の記念にピッタリの「巌流島上陸認定証」が購入できます。

一猛斎 芳虎(いちもうさい よしとら、生没年未詳・江戸時代後期〜明治中期)の錦絵『無三四岸柳仕合之図(むさしがんりゅうしあいのず)』が描かれたハガキ型の認定証。返信先などを記入して受付に提出すると、後日、巌流島奉行の下関市長による認定印が押されて、記入した住所へと郵送されます。
自分への思い出に、または大切な人へ、一言添えて送ってみてはいかがでしょうか。

以上、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした山口県下関市「巌流島」の御紹介でした。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/08/11 訪問

- PR -

条件を指定して検索

LINEトラベルjpで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -