城の守りの堅さを知るには、城を攻める側になったつもりで行かなければなりません。城内に入るにはまず内堀を越える必要があるのですが、内堀の周辺は面影を残す場所、ほとんど面影を偲ぶことのできない場所、様々あります。そこで、姫路城周辺で見られる地図から守りを確かめてみましょう。
地図から見られる虎口は4か所。大手門と清水門、喜斎門に「動物園」と書かれている場所です。大手門は門が3つ、喜斎門は2つ。門をくぐるたびに右に左に曲がるようになっています。これは攻城側の動線を増やしながら多方向から攻撃するための工夫です。
清水門も同様な工夫が見られますが、よく見ると分かるように清水門は突破しても内堀を越えていないのです。したがって、清水門を突破しても天守群などから攻撃されるリスクを負いながら東へ向かい、喜斎門付近の小さな門を通らないといけないことが分かります。また、西に向かうと、そのまま城外へ出されてしまうという面白い工夫も見られます。
そして、動物園の書かれた場所。城内に入るには出丸と呼ばれる小島を経由せねばならず、出丸に入るときに出丸からの攻撃、出丸から城内に入るときに城内の北と西から攻撃を受けるようになっています。
ちなみに、姫路城はこの地図から分かるように城下町を囲い込むようにさらに外堀がありました。現在は、JR姫路駅からそのまま北上し、大手門をくぐることができますが、かつて姫路城を攻め込む場合、各虎口が厳重な桝形虎口となっている外堀、前述した徹底防御の内堀を越えなければ城内にさえ入れなかったのです。
姫路城を大手門から攻め込んだとします。すると、広大な広場のような空間があるでしょう。ここが三の丸と呼ばれる曲輪になります。かつて政庁や武家屋敷のあった部分です。ここを北の方へ向かうと、入城料の求められる登閣口になり、ここを抜けて左に折れると、菱の門に至ります。
門の名前は、冠木に掲げられた木製の花菱に由来します。城内最大の櫓門であり、門を目指して左に折れた時は右から、門の下に立てば、門の上から、左から攻撃できるようになっており、この場所に攻め込まれることを警戒して特に守りを厳重にした意図を感じることができます。菱の門2階の床には隙間も見られ、門を通過する敵を真上から攻撃する見られます。
ここを抜けると櫓の連なる城郭部分へ足を踏み込むことになります。天守閣群もより近くに見えてくるでしょう。
菱の門を抜けると三国堀という正方形の堀が北東にあり、その向こうに天守閣群が見えます。そして、菱の門から続く道が三国堀の左と右の2つあります。あなたはどちらから攻めますか?
現在の見学順路は左ですが、本来の姫路城の大手道は右の道でした。本丸を背にすると、守りの堅さには気が付きにくいものです。ここで、少しだけ右に折れてみましょう。そうすると、クランクした道の先に多聞櫓を繋げた「ぬ」の門が現れます。この門が鉄壁なのです。
「ぬ」の門は、3重3階の櫓門。つまり、攻めてきた敵に対して2階と3階から攻撃できます。2階建ての櫓門は多くても、3階まである櫓門は姫路城でしか見られません。加えて、門扉は総鉄板張り。閉じてしまえば、まず開けられません。そして、クランク状の道をつくるのは姫路城の本丸である備前丸の石垣。備前丸から左と背後まで攻撃できるようになっているのです。この守りの堅さは、姫路城でも随一と呼べるでしょう。
ちなみに、「ぬ」の門をくぐると備前丸のすぐ南から東をぐるりと経由してようやく備前丸に至ります。「ぬ」の門をくぐれても備前丸からの攻撃が続くようになっており、攻めることが非常に困難なことが容易に想像できる造りになっています。
菱の門から右へ攻めることが非常に困難なことを説明しました。それでは、左はどうでしょうか。正しい見学順路である左の道へ進みましょう。
西の丸の城壁から攻撃を受けながらまっすぐ「い」の門、「ろ」の門をくぐると、左に折れてUターン。櫓門にしては非常に小さな「は」の門をくぐり天守閣群のある方向へ道が延びます。天守閣群まであとわずかまで近づいたと思ったら、天守閣群手前に立つ「ニ」の隅櫓の下で反転です。天守閣群から遠ざかり、「に」の門をくぐって再び右へカーブします。そして、頭をかがめないと通れないほど小さな「ほ」の門をくぐってようやく複雑な縄張を抜けることができます。
ちなみに、守城側にとって「は」の門がこのエリアでの要となります。櫓から菱の門の状況を窺うことができ、敵が殺到していると判断すれば、窪地を埋め、迫る敵を防ぐことも可能な場所です。埋めてしまえば、破城槌で扉を開けることもできません。
門や曲輪を利用した防御を行う右の道に対して、左の道は徹底的に動線を増やして天守閣群に到達するまでの時間稼ぎを行おうとしているような印象を受けます。これほど複雑な縄張を残しているのも姫路城くらいでしょう。こうした特徴も確かめながら天守閣へと向かいましょう。
複雑な縄張を越えると、ようやく天守閣群の天守台下にたどり着きます。姫路城の天守閣は、小天守が大天守を囲む連立式天守と呼ばれる形式になっています。大天守(写真右)の北に東小天守、西に西小天守(写真中央)、北西に乾小天守(写真左)があり、これらが渡櫓で結ばれています。
大天守へ直接行くことのできる道は無く、いずれかの小天守を経由するようになっており、最後の最後まで防御しようとする姿勢が見られる構造となっています。姫路城の美しさも防御を目的とした複雑な構造美によって支えられています。これもある意味では「用の美」と呼べるでしょう。
姫路城がいかに徹底的な守りを施した城であるかが、お分かりいただけたでしょうか。こうした守りの工夫は他にも数多く見られます。それらを探してみるのも面白いはずです。
姫路城は、天守閣の美しさで知られます。「ここからの天守閣が美しい」というポイントをめぐってみるのも一興でしょう。時間ごと、季節ごと、夜のライトアップされた天守閣の表情を眺めるのもいいです。
しかし、天守閣の抜群の美しさを愛でながら、姫路城全体の構造にも注意を払うことで姫路城の面白さが何倍にも膨れ上がります。姫路城に訪れた際は、ぜひ攻めの困難さ、守りの工夫にも目を配ってみることをおすすめします。
この記事の関連MEMO
トラベルjpで250社の旅行をまとめて比較!
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索